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移り変わりの激しいモバイルインターネット業界ですが、最先端を切り開く一員としてそれがどういうことなのかを自分なりに解釈・翻訳してお伝えすることで、業界内外に関わらずワクワク感を共有できる人が増えると嬉しいです。

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深田浩嗣 Koji FUKADA

1976年京都生まれ、京都育ち。仕事を始めて東京に在住。

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2006年07月31日 (月) 00:52

Category [ ネットが社会にもたらす影響 ]

ネットが当たり前という世界観

昨日、久しぶりに中学からの友人仲間の家で集まって色々と話をしていました。ふとその中の話題で、ネットが当たり前という世代が育ってくると一体どうなっていくのだろうという話になりました。デジタルデバイドなんていう言葉がありましたが、生まれた時からネットが当たり前にあってその中で育ってきた人達にとって、ネットとは一体どういうものなのでしょうか。

ちょうど僕らの世代は小学校低学年の頃にファミコンが世の中に登場し、自分が大きくなるに従ってゲーム機が進化していきました。そして、ちょうど大学生の頃にネットが登場し、そしてケータイがネットにつながるようになり、そうした世界もどんどん進化していっています。そうした計算機やネットワークの進化の変遷を目の当たりにし、進化していくことそのものを楽しんで育ってきたような部分があります。こうした進化が世の中に与えてきたインパクトも体感してきています。

しかしそれが当たり前になった時、人はどのように変わるのでしょうか。ネット上での自分というものを、僕らとは違う視点で捉えるのでしょうか。特に、小さい頃からネットに触れている人にとっては社会の中での自分という意識を持つ前に個人としての自分という位置付けでネットの世界に入り込んでいくはず。

こうしたブログを書いていて、自分自身でも公の立場と私の立場の切り分け方は時に非常な困難を感じることがあります。それは、ネットが当たり前の世界に生まれてこなかったからなのでしょうか。社会というものを意識する公の自分が出来上がるのは、就職後仕事を通じてというケースがほとんどでしょう。公の自分を確立する前からネットを使いこなし、ネットの中での自分というものが違和感なく確立されている人にとって、公の立場としてのネットユーザとは何なのか。また、現在とは異なったパラダイムシフトが起きるのかもしれません。

その時、僕らにできる仕事は一体何なのでしょうか?そう遠くない未来の話です。とにかく今は先へ進むしかありませんが、何がしかの解を持ったものが生き残るんだろうな、と思います。




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