「英雄」の出ない国
歴史が好きで司馬遼太郎の本はよく読んでいるのですが、最近読んだ中になるほど、と思った一節がありました。要約して引用しますが
日本史では中国史や北アジア史、あるいはヨーロッパ史に出てくる英雄というものはついに出ず、出るような条件もなく、その必要も日本的な稲作の地理条件化にはなかった。織田信長はすこし型が違うとして、源頼朝も足利尊氏も豊臣秀吉も徳川家康も、諸勢力の調停者という面の方がつよく、内実は多分に盟主的権力というにちかい。
この前段に、
日本の場合、稲作というものの事情が基底をなしている。いつの時代であるにせよ、(飢饉などで)ある県1つが大流民と化してもとなりの県では稲が十分に結実していて、これがために流民化せず、農村に定着している。定着している以上は上の命令に従う気分と理由を持っているために、逆に中央の命令によって流民を討つということになる。
という記述があります。要するに、「(環境などの要因によりある意味自然に)ある程度の水準の生活レベルを維持し続けられる社会では英雄は不要である」ということなのかな。
これをネガティブに捉える必要は全くないと考えていて、そういう歴史を経て今の日本人は日本人となってきたということを考えた時に、どういう役割を狙うのが成功するのかということの大きなヒントになるのでは?と思った次第です。
ゆめみもグローバルに戦うことを考えないといけないなと思うこの頃、どういうポジションが正しいのか、国民性に沿った戦い方という視点もおもしろいですね(マクロすぎる視点なので「おもしろい」でとどめておきますが)。
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