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深田浩嗣 Koji FUKADA

1976年京都生まれ、京都育ち。仕事を始めて東京に在住。

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2008年06月25日 (水) 09:00

Category [ 書評 ]

「奇貨居くべし」

という小説を最近読み終えました。タイトルの「奇貨居くべし」というのは、秦の始皇帝や始皇帝の前王(父親でもある)の擁立の立役者であった商人呂不韋という人物が、始皇帝の父親を見出したときの言葉です。史記ではこの呂不韋という人物はあまりいいように書かれてはいないのですがまた違った角度で書かれており、非常に魅力的な人物として描かれています。

初めて中国を統一した始皇帝という人物に興味があってたまたま見つけた本なのですが、色々と学ぶところがありました。

呂不韋という人物は、何も持たないところから始めて秦の政治を司る地位にまで上り詰めたのですが、この小説内では自らを「駄馬」と位置付けています。「自分は1日千里を走る駿馬ではないが、1日1里の駄馬でも歩みを続ければ千里を行く事が出来る」という言葉に生涯順じた人である、と描かれています。

そして自らが世に何を成す事が出来るのか、何を成すべきなのか、そうした問いかけを死ぬまで続けた人であるとも言えます。

新卒の面接をやっているまさにこうした問いをしているんだろうなと思うことがよくあるわけですが、それを人生の一時期だけのものとして捉えずに生涯続けるというのは、本質であると感じながらも新鮮な印象を持ってしまった自分を反省しました。

そういう問いをしなくなるということは、心のどこかで「自分はこういう人間なのだから」という決め付けやある種の諦めをしてしまっているということにつながります。決して学ぶことを疎かにした生き方はしてきていないというつもりはありましたが、この小説の呂不韋ほどの深刻さで問いかけを続けていたかといえば、新鮮さを感じた自分がそうではないと言っています。

その他にも、色々と得る所のある本でした。

奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫) 奇貨居くべし―火雲篇 (中公文庫) 奇貨居くべし (黄河篇) (中公文庫) 奇貨居くべし (飛翔篇) (中公文庫) 奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)




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