2009年11月20日
ソーシャルアプリ一色。
最近、同業の人と会うような会合に行くとどこもかしこもソーシャルアプリ一色って感じです。確かに盛り上がっているようで、アクセスしてみるとあまりの集中に落ちているアプリも1つや2つではありません。
「ソーシャルゲーム」という言葉も出てきているようですので1つのジャンルとして確立していくのかもしれませんね。
ゆめみはゲームを作る会社ではないのでそのジャンルにがっつりというイメージは湧かないのですが、SNSがプラットホームとして開放される中ではB2BとB2Cの境界も非常に曖昧になっていく気はとてもします。B2C2BというかC2B2Cというか、企業対消費者という1対多の関係性ではなくて、多数の企業をつなげていく存在としての消費者、むしろ消費者の間で翻弄すらされかねない企業というような、そういうイメージがいよいよ強まってくるのかもしれません。
一方で消費者に主導権が移ったと思いきやアイテム課金に代表される「気がつけば課金」型の企業は高い収益性を確保しています。消費者的には単価が安いのでうっかり買っていると気がつけば結構お金使ってるぞこれということになっている感じがします。
まあ、大人が100円や200円で買える物ってリアルなものだとお菓子とかジュースくらいにどうしてもなってしまうので、「コンビニ行っておやつ買うの止めてアバターアイテムでも買うか」ということなんでしょうか。
これからどうなるのかなあ。
何にせよお祭りがお祭りであるうちは踊らにゃソンソンという感じがするのと、こういう盛り上がりはなんだか久しぶりな気がするのでちょっと楽しいです。
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2009年11月17日
狩猟と農耕とか。
かなりどうでもいい話です。
随分前からずっと気になっていることなんですが、狩猟民族とか農耕民族とかよく表現します。典型的には、西欧の人たちを狩猟民族と表現し、日本(アジア)の人たちを農耕民族と表現することが多いようなイメージです。その他にも、商売の仕方でもこういう表現を使うことがあります。どんどん新規を開拓していくのを狩猟型、じっくりお客さんを育てていくのを農耕型、など。
#なんかこんな話前にも書いたかな
気になっているのは、なんで西欧の人たちが狩猟型と評され、日本やアジアの人たちが農耕型と評されるのかという点です。稲作が広がったのはヨーロッパの方もアジアの方もそんなに変わらない時期なのになぜ?・・・という疑問がいまだによくわかりません。基本的には人類の進歩の過程としては、狩猟型から農耕型に移行したというのがどの地域でも共通に起こったことで、農耕型に移行できなかった人々は結局人口を増やしたり文明化を進めることができずに、征服されてしまったり滅びてしまったりということが歴史上は起こってきています。
なので余計に、地域で狩猟と農耕の区別をすることがなぜ成立するかが謎です。
最近、「焼き畑農業」という言葉を目にして、「農耕でも狩猟に近いモデルあるやん」、と改めてこの疑問を思い出しました。
誰か疑問を解決してください。。。
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2009年11月 5日
体がボロボロ
11/2、ITベンチャー運動会に参加してきました。今年で3回目ですが、どうも毎年毎年自分の体力の衰えを痛感するに終わる運動会になっている気がします。。
今回は、綱引きで両腕がやられ、1500m走で両足がやられ、最後のリレー100mで膝がやられということで昨日は階段の上り下りすらままならない状態でした><
来年こそは体力を鍛えて・・・と思って今回で3回目なんだよなあ。なかなか運動が普段の生活に根付きませんが、仕事を元気よくやり続けるためにも体力維持を考えていかないといけないですね。
19:00 | Permalink
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2009年7月 7日
失敗から学べるかどうか。
顧問に勧められまして、「ブラザーの再生と進化
」という本を読んでいます。2003年に販売された本と少し古いのですが、当時の会長である安井氏が自分が社長に就任してからの顛末を書いた本です。
ブラザー工業はモバイルの業界で言うと、JOYSOUNDのエクシング社の親会社に当たります。このエクシング社、もともとはブラザー工業で1986年に実施された「TAKERU」というサービスでの失敗を糧に始まった会社だそうです。TAKERUというのは店頭設置型の通信端末で、ISDN回線経由でソフトをダウンロードでき、その場でフロッピーなどに落として買ってもらうという仕組みのサービスだったそうです、なにせ時期が早すぎて当時は大失敗だったとのこと。
ただ、通信回線経由でソフトウェアを配布するというアイデアが1992年に通信カラオケにつながり、それがモバイルコンテンツ配信にもつながったということで、エクシング社は現在大成功している、というお話です。
最初の大失敗から6年後に同じアイデアを活かすことができる。そういう会社は強いなと思いました。バランスが難しいところですが、財務的な意味での失敗が許容できる規模の会社だと金銭的には失敗を次に活かせる可能性がありますが、逆にその許容感が真剣味に水を差すことはあるでしょう。一方でベンチャー企業のような財務的に余裕のない・あるいはその事業を実施することにのみ投資がなされている規模の会社の場合、失敗するとそこで終ってしまうわけですがその分必死になる。
両方のうまい部分をとろうとすると、たとえば投資する側の立場が失敗を次に活かすようにアイデアの時期や再利用性を見極めたり、失敗から学べる「人材」に投資をするという考え方を持ったり、そういう観点があるといいのかなと思ったりしました。
12:00 | Permalink
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2009年7月 2日
コンチキチン。
今日、京都オフィスに入りしなに聞こえてきました。
7月に入ると、京都では祇園祭りに入ります。「コンチキチン」という鐘の値が街中ではそこらじゅうで聞こえてくるので、「ああ、もうそんな季節か」と感じるのですが、もう夏ですね。山鉾巡行が7月中旬にありますので、それまでの約2週間と少しはこの音色が聞こえる期間です。
東京にいると普段の生活の中でこういう季節を感じさせるようなイベント事はあまり起こらないので、そういう意味でも京都は心が安らぐ街だなと思った瞬間でした。
23:12 | Permalink
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2009年4月14日
レッドクリフ Part2
週末に公開されたので早速見に行ってきました。Part1では曹操が割と悪者っぽい扱われ方だった印象があったので、勧善懲悪的なストーリーになってしまうと残念だなと思っていたのですが、なんとかそうはならない終わり方だったので良かったなと。
しかしああいう時代の英雄たちのリーダーシップというのは一体どんなようなものだったのか、すごいもんだなと思います。時代が違うといえばそれまでかもしれませんが、たとえば今「よし俺は○○しなきゃならんと考えるからそのためにお前ら(本当に)死んでくれ」と言ったところで誰が動くでしょうか。当時の意味での天下を平定する、そのために戦争するということはまさにそういうことだったわけです。
時代も後になって国家が何となく成立してくると、「国の命令だから」というようにリーダーシップとはまた別のものに従うという印象になりますが、三国志など時代が昔であればあるほどどちらかというと個人のリーダーシップに依存する要素が強かったのではないかなと(非常にざっくりですが)。
現代において文字どおり命を捨てなければならないような局面は、少なくとも経済環境においてはほぼないと言っていいと思いますが、歴史上の人物の凄まじいまでのリーダーシップって一体何なんだろうということに思いを馳せた映画でした。
11:00 | Permalink
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2009年2月20日
キャリアメンターという考え方
先日、人材派遣会社に勤めている友人と食事をする機会がありました。人材にかかわる仕事を長くしている人物なので、自分の将来のキャリアもその方向で考えているという話の中で、職を紹介するというだけではなくその人の人生設計にまで踏み込んだ仕事の選び方やキャリアの積んでいき方をサポートするようなことをしていきたいという話を聞かせてくれました。
僕自身、ゆめみという会社の中でいろいろな人が入ってきて、また出ていってということを経験する中で、「この人はこの先大丈夫かな」ということが正直心配になるケースもありました。
とはいえ退職された方をサポートすることはできませんし、心配ながらも見送るしかないというのは何とも寂しいものです。特に人との関係性を作らない・作れないままに移っていくケースは本当に心配になります。どの会社にいったとしても同じ壁にぶつかることが目に見えるからです。
そういう意味で、第三者的な立場でその人の人生まで考えた職・キャリアをサポートするという職業は、人材の流動性が高まれば高まるほど必要になる気がします。この職業をやる上で重要なのは、サポート対象となる個人から課金するという点ですね。紹介料という形で企業から課金すると最終的には転職者のことを本当に考えた職の紹介にならないと思います。
応援したいと思える考えでした。
18:00 | Permalink
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2009年1月21日
不況の歴史
不況の時期というのは過去にも何度もあったわけですが、過去の不況の結果何が起こったのだろうという観点で1920~30年頃に発生した日米での不況に関する本を最近読んでみました。
「なぜ起こったのか」という観点で書かれた本が多く、何が起こったのかという観点の記載はそれほど綿密なわけではありませんでしたが、なるほどと思ったことの1つとしては
- つぶれる会社が増える
- つぶれた会社がやっていた業務やお客さん、社員を吸収する会社が出てくる
- 生き残り吸収する側に立った会社は大きく強くなる
ということが起こったということでした。考えてみれば当たり前ですが、いざ今目の前の100年に1度の不況と言われる環境下で(敢えてえらそうな言い方をすれば)そういう立場に立てるのかどうか。自問自答したときに、大切なことは事業拡大のチャンスという視点ではなく、お客さんに迷惑をかけない・お客さんのためになるのかどうかという視点で意思決定をしているかどうかなのかなという気がしました。
いたずらに拡大志向な会社は目指すところではありませんから、これも原点の1つとしてしっかり心構えを持って事業に取り組むしかないなと思いました。
10:00 | Permalink
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2009年1月 5日
今年の抱負は「原点回帰」
あけましておめでとうございます、2009年は本日が営業開始日です。
今年の僕の抱負は「原点回帰」です。今月の27日に、ゆめみは10年目を迎えます。創業当時の思いを振り返って、自分の行動がそこからぶれていないかどうか。2つの経営理念「技術とアイデアで夢を実現し感動を生み出す」「笑顔で全力投球できる環境を作る」に沿っているかどうか。そこを改めて軸として1年間活動していきたいと思っています。
2008年は、社員のみんなの力で成果を出すことが出来た1年だったなというように感じています。お客様に納品した成果物ももちろんですが、モバイルユーザビリティの書籍やmod_ktaiのような技術資産の公開についてもそれが当てはまります。
2009年もより一層いい成果を世の中に出すことが出来るよう頑張ります。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
18:00 | Permalink
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2008年7月11日
エンジンを作っている友人。(2)
前回のエントリで書いたエンジンを作っている友人との話でもう1点興味深い話がありました。
彼は今度転勤でタイの工場に行くことになると言っていました。オフショア開発というやつですが、人件費が安いという利点を活かす為には製造工程を作業レベルに落とし込むということを徹底的に考えるということを話してくれました。とはいえ単純作業の繰り返しだとモチベーションも下がるので、マネージメントとしてはうまく改善案を取り込んでいったり自分たちで考える部分を作ったりというようなところも工夫する必要があってそこは難しい部分があるという話もありました。
聞いてみれば当たり前といえば当たり前の話ですが、ソフトウェア開発におけるオフショアを考える上でも色々な示唆があるなと思う話でもありました。
徹底して製造工程を作業レベルに落とすという考えはソフトウェア開発に応用できるものなのか?あるいは人件費の安さを有効活用出来るようなソフトウェア製造工程とはどのようなものなのか?エンジン工場は基本的に同種のものを大量に生産するためのものだがソフトウェア開発はそうではないという中で、製造工程をどこまで単純化できるものなのか?などなど。
違う業界の話を聞いてみるのは視野が広がっておもしろいですね。
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2008年7月 9日
エンジンを作っている友人。
先日、中高時代の同級生の結婚式二次会に行く機会がありました。久しぶりに会う同級生と近況報告をしていたのですが、中に三菱関連企業で車のエンジンを作っているという友人から色々話を聞いていました。
中でもエンジンのメジャーなリニュアルのサイクルは大体3年くらいだ、という話は興味深かったです。IT業界のスピードの速さをドッグイヤーという言葉に例えることは一般的ですが、WebのサービスにしてもASPなどにしても大きなリニュアルはやはり大体3年周期くらいではないか?と思い、エンジンリニュアルの周期と実はそんなに変わらないのかもしれない、と思ったのがその理由です。
大体、ゆめみにお話としていただくリニュアル案件の場合にでも以前作ったのは3年くらい前(案件によってはもっと前)というケースは普通にあります。例えば楽天なんかでも先日大きなリニュアルがあったと聞きますがおそらく3年くらいは持たせるだろうなというのはシステム屋の観点から想像がつきます。
「リニュアル」の定義による部分もあるでしょうし、小さなバージョンアップの反映のスピードなどソフトウェアの方が速そうな部分は多々ありはするでしょう。ただこれまで自動車のエンジンのような物理的なモノ作り視点はなかったのでそこは新鮮でした。
そうしたモノ作りからソフトウェアのモノ作りに応用できることもあるかもしれないなという点と、IT業界がドッグイヤーとされる所以はそもそもどういうところに要因があるのだろうという点は、色々と考察しがいのあるテーマかもしれないなと思いました。
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2008年6月 9日
IVSにて
6/5,6と札幌にて開催のIVSに参加してきました。2日目は残念ながら朝イチで去らないといけなかったのですが、半年振りにお会いする方々もたくさんいらっしゃって密度の濃い時間でした。
今回印象的だったのは、在籍されていた会社成長の中核の一人であったであろう方々が退職し、新たな道を進まれているということでした。この時期に重なって何人かそのような方がいらっしゃるのは非常に象徴的な出来事で、偶然とばかりは言えないんだろうなと感じました。
業界としてそういう時期に来ている、自分の仕事が一段落したなと思える、在籍中の会社では出来ない新たなチャレンジ欲求が出てくる、自分がいなくても大丈夫だと思える、他にも理由はあるでしょう。
少しだけさみしいような思いもありますが、新たなチャレンジにエールを送りたい気持ちにもなりました。これまでとは違う関係性が築けるといいなと思います。
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2008年6月 6日
日本をぐるっと。
京都に着きました。
昨日からよく考えてみると、東京→札幌→福岡→京都、と日本をぐるっと移動してます。札幌土産と博多土産を両方手に持っていることに我ながらおかしみがあります。
来週からまた頑張るぞ。
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2008年5月30日
大学時代の恩師
先日、大学時代の恩師と久しぶりにお会いしお食事をさせて頂く機会がありました。創業の当初、創業メンバーでもあり現役員でもある片岡・中田と私は同じ研究室の同級生だったわけなのですが、先生にとっては教え子がいきなり3人も「会社作ります」といって大学から抜けていってしまったことになります。ご迷惑・ご心配をかけたことだったかと思います。
たまたま久しぶりにご連絡したところ食事に誘って頂けたのは私にとっては非常に嬉しい出来事でありました。長らく「ホンマにちゃんとやってんのかいな」と思っておられたんだろうと思うのですが、丸々8年も経ってそろそろ「どうやら少しはマジメにやっているらしい。メシでも食いにいってやるか」くらいには考えて頂けたのかな、という意味で素直にそれが嬉しいことでした。
縁というもののありがたさを感じた時間でした。
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2008年4月11日
妹がテレビ出演します
もう全くの個人的なネタで申し訳ないのですが、今晩NHK教育テレビにて、20:00からの番組「きらっといきる」にて、僕の妹が出演します。お時間のある方はご覧下さいませ。
僕個人の人格形成上、妹からは多大な影響を受けています。今ここで僕がこうしているのも彼女によるところが大きいのですが、身内びいきながら人にエネルギーを与えることが出来る人間だなと常日頃思っています。生きるとはどういうことなのか、肌でそれを感じさせることができる人というのはなかなかいないと思いますが、身近にそういう人がいることは僕にとってとても大きなことです。
14:30 | Permalink
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2008年3月24日
米国労働事情の一端
先日学生時代からの友人で、アメリカで博士課程を終え向こうでの就職が決まったということで日本に帰ってきていた男と久しぶりに食事をする機会がありました。向こうの労働環境・労働意識などを聞いていて非常に興味深いものがありました。
まず博士課程修了後の就職の道は日本と比べて幅が広いようです。待遇面も相当よく、年収10万ドルというのも普通にあるようです。相当実践的なことを研究するんだろうなと推測されますが、企業側もそうした人材の活用方法をちゃんと持っているということでもあるのでしょう。彼自身も提示された金額に驚いたということを話していましたが、30歳前後で勤務経験がない人間に対してそれだけのバリューが一般的につけられるということは、大学・企業双方でそれだけのことをやっているということでもあります(生活にかかるお金は日本と同じあるいは場所によってはそれ以上に高いということもあると聞きましたが)。
就職(転職)活動の仕方も随分日本とは違うなと思いましたが、いわゆる就職サイトに登録するというようなやり方ではなく興味のある企業にどんどん自分から応募するのが普通だという感覚があるようです。中途の採用はエージェント経由であることも多い日本とは積極性に差が大きい印象です。
一方で雇用に対する意識もドライなようで、具体的には「君来週から来なくていいから」とクビを切られることが普通にあるということでした。そんな急な、引継ぎとかどうするんだ、とか色々考えてしまいそうになりますがそういうもんだそうです。
もちろんこの友人の目から見た話なので、それが全てということではないですし偏りのある情報だとは思いますが、それでも何がしかの一端を窺い知ることが出来る話でした。日本の労働事情の将来を考える上でのヒントもちりばめられているなと感じました。
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2008年3月21日
モバイルサイトなどの制作ガイドライン作成中。
ゆめみは、MMSA(モバイルマーケティングソリューション協議会)という業界団体の理事を勤めさせていただいているのですが、ここで毎年モバイル関連の制作に関するガイドラインを出しています。
現在改訂版を作成中(私のほうではコマース部分を担当させて頂いています)なのですが、今年で3回目ということもあって内容もかなり充実したものになってきています。ケータイはコンテンツの幅が広く機種も多様なので、なかなか網羅性のある資料が作りづらいのですが、こちらは各業界の第一人者の方々が執筆されていることもあり情報としても踏み込んだ内容になっています。
手前味噌で恐縮ですが、意外に(!)使えるガイドラインになっているかと思いますので制作に携わっていらっしゃる方やこれから発注をしようと考えている方にはご一読をオススメします。
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2008年2月29日
社員の結婚式にて。
先週末、社員の結婚式がありました。平均年齢が29歳ということもあって婚期を迎える人が増えてきていますが、彼は僕と同い年。普段見ない照れた笑顔が印象的でした。
今回神前式だったのですが実は神前式に参列するのは初めての経験でした。1つ1つの儀式が新鮮で、なかなか奥深いなという感想でしたが、調べてみると神前式というのは明治時代に創設されたやり方ということで意外に新しいものなんですね。末永くお幸せに!
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2008年1月31日
「世界を変える」という意気込み
日本のベンチャー企業を良く知る、とある方からこんなお話をされたことがあります「御社は世界を変えるような会社にいつかなってください」
背景として、日本のベンチャー企業の話には夢を感じないことが多い、「世界を変える」という言葉を聴いたことがない、というようなことが経験としてあったようです。
前回のエントリで日本における英雄の出にくさについて触れましたが、「世界を変える」という意気込みを持つことは英雄の話とは別に非常に重要なことだと思います。
ゆめみも創業の経緯として「なぜモバイルという分野を選んだのか」ということの大きな理由の1つとして、モバイル分野であれば自分たちが作ったものを世界に出していけるチャンスが大きいと考えたということがあります。どうせやるなら世の中を変える立場に立って、自分たちの作ったものが世界に広まっていくような、そんなことをやりたい!という思いは創業から変わっていないところです。
まだまだ大それたことが出来る立場ではないのですが胸の内にはそういう思いを持ち続けています。
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2008年1月30日
「英雄」の出ない国
歴史が好きで司馬遼太郎の本はよく読んでいるのですが、最近読んだ中になるほど、と思った一節がありました。要約して引用しますが
日本史では中国史や北アジア史、あるいはヨーロッパ史に出てくる英雄というものはついに出ず、出るような条件もなく、その必要も日本的な稲作の地理条件化にはなかった。織田信長はすこし型が違うとして、源頼朝も足利尊氏も豊臣秀吉も徳川家康も、諸勢力の調停者という面の方がつよく、内実は多分に盟主的権力というにちかい。
この前段に、
日本の場合、稲作というものの事情が基底をなしている。いつの時代であるにせよ、(飢饉などで)ある県1つが大流民と化してもとなりの県では稲が十分に結実していて、これがために流民化せず、農村に定着している。定着している以上は上の命令に従う気分と理由を持っているために、逆に中央の命令によって流民を討つということになる。
という記述があります。要するに、「(環境などの要因によりある意味自然に)ある程度の水準の生活レベルを維持し続けられる社会では英雄は不要である」ということなのかな。
これをネガティブに捉える必要は全くないと考えていて、そういう歴史を経て今の日本人は日本人となってきたということを考えた時に、どういう役割を狙うのが成功するのかということの大きなヒントになるのでは?と思った次第です。
ゆめみもグローバルに戦うことを考えないといけないなと思うこの頃、どういうポジションが正しいのか、国民性に沿った戦い方という視点もおもしろいですね(マクロすぎる視点なので「おもしろい」でとどめておきますが)。
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2008年1月29日
運動会
土曜日、業界有志による運動会に参加してきました。300人くらいの参加者がいてすごく盛り上がりまして、我がゆめみチームはエンジニア集団ということで「本当に運動が出来るのか?」という外部の方々の心配をよそになんと総勢約50チーム中6位!という意外な?健闘を見せました(しかしおかげで僕も全身筋肉痛で、日曜日はもう階段の上り下りすらままならないという情けない状態)。賞品にジャージをもらって満足な一日でした。
体を動かすことによる交流、というのは初めてでしたが新鮮な楽しみがありました。特に会後半の参加チームを4つのブロックに分けての団体戦は、他チームとの交流をする機会もあってすごくよかったんじゃないかと思います。幸いにして僕らが所属していた青チームは皆さんの頑張りで団体戦全種目勝利!という非常に気持ちのいい結果でした。
主催の方々、本当にお疲れ様でした!いい会をありがとうございます。また是非参加したいと思いますし、協力できることがあればお手伝いさせて頂きます!
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2008年1月 4日
あけましておめでとうございます。
みなさん、あけましておめでとうございます。
ゆめみは4日から業務開始ですが、今日は休暇を取っている人も多くいますので、ややゆっくりとした業務開始です。
2008年は、今やるべきことをしっかりとやる1年を目指します。目の前に見えている課題にしっかり取り組むことが主軸です。アンテナだけはそろそろと広げておいて、次に打つべき手の材料は揃えておきます。去年は色々な人に支えてもらった1年でしたが、成果を出すことがお返しだと考え、今年も一層頑張ります。
本年もどうぞよろしくお願い致します。
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2007年11月27日
転職市場の活性化に思う(2)
ちょっと昨日のエントリがなんだか説教くさいなと反省していた深夜前です。どうも自分で書いていてネガティブに過ぎたかもしれません。
「自己成長を自己責任で行う」というそれ単体で考えると当たり前のように聞こえることですが、改めて考えてみると意外に難しいのではないか、というところが発端だったのですが、ポジティブに考えると中長期的には自己成長を自己責任で行うことが当たり前な社会になっていく、ということなのかもしれません。そうなると出来る人と出来ない人の格差は大きくなっていくのでしょう。
そういう社会になっていくのではないかなという予感を胸に、ゆめみとしてどうあるべきかを考えてみると、「自己成長を自己責任で行える人材を育成すること、またそうした人を支援すること」という姿に自分の中ではつながっていくようです。現時点での姿はまだまだですが、「人の成長」において目指すべき姿はそこだなと思います。一歩ずつ、近付いていけるよう頑張ろう。
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転職市場の活性化に思う
転職市場が活性化傾向にあるということは(きちんとデータを取っていませんが)言って良いと思っていますが、それがもたらす影響について考えてみたときに、必ずしもハッピーなことばかりではないなあと最近思ったりします。
結論から言うと、転職者の自己責任の度合いが本人の気付かないうちにどんどんと膨らんでいるのではないか、という懸念です。ここでいう「自己責任」とは自分磨きに対しての責任です。転職が「キャリアアップ」と言うと聞こえはいいですが、本当に自己責任でもってキャリアアップを捉えることが出来ている人がどのくらいいるのか、あるいはキャリアアップとはそもそも何かということを誰が彼らに教えることが出来るのか、というところに課題があるように感じています。
自分磨きを大別すると、2つあると考えています。「出来ること」を磨く面と「あるべき自分の姿」を磨く面、の2つです。ちょっとわかりにくいかもしれませんのではしょると、スキルと人間性、の2つと言い換えてもいいと思っています。
かなりざっくりとした話になってしまうのですが、転職がキャリアアップを言い訳とした困難な現実からの逃避の手段として使われているのではないか、というのが懸念の根本にあることです。特に精神的な面を磨いていくためには、苦労した経験・一生懸命努力した経験・困難から逃げずに乗り越えた経験、といった経験が必要になると私は考えています。
仕事の中でこうした経験を積む機会というのはもちろんあるはずですが、それをどのように捉えることが出来るのかで本来のキャリアアップを積めるかどうかが問われてくるのではないでしょうか。
これだけでは思うところが全部述べられないのでまたの機会に書きたいと思いますが、マクロな視点で見て結構根深い問題になり得るのではないかと心配しています。
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2007年11月26日
ホンモノに触れる体験。
3連休は友人の結婚式もあって京都にいたのですが、その真ん中の日式に列席していた中高の同級生夫婦を連れて京都観光に行ってました。道々、京都という街の奥行きの深さについて話していました。住んでいた時分にはなかなか気がつかないものですが、京都にはいわゆる観光地以外にも見るべきスポットやふとした所に非常にいい趣を感じさせる建物があったりすることがよくあります。特にそれを喧伝することもなく「当たり前」のことだという認識が店(に限りませんが)側にも客側にもあるということは実は非常に贅沢なことだと思いました。
今回それを感じたきっかけは「イノダコーヒー」という喫茶店でした。70年くらい前からあるお店ですが、今でいうところのカフェという言葉を当てはめることが出来るという点で、その原型とも言うべき佇まいを味わえます。飲食業に詳しくはありませんが、カフェという形態のお店が真似るべき要素が非常にたくさんあるのではないでしょうか(是非、京都にお越しの際には行ってみてください)。
これは一例ですが、「ホンモノ」の定義を「他に模倣される点が多々あり、その原型と呼べるもの」であるとするなら、それに触れる体験は出来るだけ多く積んでおきたいものです。京都に生まれ住んだということでホンモノい触れる体験はひょっとすると多く積んできたのかもしれませんが、ジャンル問わずもっと色々なホンモノに触れていきたいです。また人の成長という視点、仕事のレベルを上げていくという視点においても、ホンモノに触れる体験を積極的に積んでいくということは非常に大事なことだなと改めて思いました。
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2007年8月 1日
かしこい。
「あの人はかしこい」というような言い方を良くします。そういうときに思うのが「かしこい」ってどういうことなのだろうか?ということです。学生の頃は「かしこい」というベクトルは勉強が出来るという1次元だけでしたが、社会に入ると当然いろいろなベクトルが出てきます。話の受け答えが早い、人間洞察力がある、先を見て行動する、理解力がある、意図をよく汲み取ることが出来る、知識の幅が広い、などなどです。
一言でかしこいという場合にはこの辺のことがまるまっているわけですが、最近この上位概念を考えてみました。つまり、さまざまなベクトルのかしこさがある中で、自分なりに自分の得意なかしこさを理解し、それを伸ばし続ける努力を怠らないことが「かしこさ」なのではないか、ということです。
思うに生まれ持った才能と後天的に身に着くものを比べたときに、「かしこさ」という言葉で表現されるものは後天的に身に着けられるものが圧倒的に多いのではないでしょうか。こういうことを考える機会があったので、今後自分の中では「かしこさ」とは、「自分なりに自分の得意なかしこさを理解し、それを伸ばし続ける努力を怠らないこと」と定義することにしました。
後はこうした「かしこさ」を身に着けるためには好奇心の強さは非常に重要だなと思います。自分の得意なかしこさが何なのか、自分自身でもよくわからないことが多いと思います。やってみると意外なことが得意分野になったりしますから、自分の可能性を自分で広げられるような好奇心は常に持ちたいなと思います。
#書いていて思いましたが僕はこういう言葉の使い方へのこだわりが強いですね
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2007年7月 3日
驚いた。
全くのプライベートな話題なのですが、本日来訪されたお客さんがエントランスにいらっしゃる横をふと通り過ぎると、どこかで見た顔・・・!と思ったら、高校のときの同級生ではありませんか。彼とやり取りをしていたゆめみ社員から話を聞くと、割と前からずっと担当していたとの事。苗字は見ていたのですが、さすがに同級生だとはつながらず、本日初めてそれに気がつきました。
いやあ世の中狭い。
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素直さとガンコさの共存。(1)
素直さとガンコさって、一見矛盾する要素のように見えますが、両方持つことって非常に大事だなと考えることがよくあります。それぞれ、どういう意味だろうか、と改めて考えてみました。
まず素直さってなんだろうか。僕がよく考える素直さを羅列してみます。
- 人の言葉を本質理解しようとする姿勢
- ↑その人の肩書きやプロフィールなどの外的要因に左右されずに
- 感じたことを率直に伝えようとする姿勢
- 自分の「フィルター」を通じてモノを見ることをせず、ありのままを見ようとする姿勢
- ↑実行においても自分なりの「フィルター」あるいは「枠」にとらわれずにやってみようとする姿勢
こんなところでしょうか。どうやら僕は、「フィルターにかけない」「自分の枠に閉じこもらない」という意味合いで素直さ、という言葉を使っていることが多そうです。素直でないと、人の意見を聞く際に吸収できる要素が少なくなってしまう。素直でないと、行動する際に自分で勝手な制限をかけてしまって可能性を小さくしてしまう。どうやら僕はそんなことを懸念しているようです。
ではガンコさとは?(次回へ続く)
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2007年7月 2日
エッジがある人
先日、社内で話をしていた時に「僕のエッジってどこにあると思います?」と質問をされたことがありました。
「エッジ」という言葉は時々聞きますが、大体において「エッジがある人」というと能力的な何か秀でたものを持っていることを指したり、性格に(いい意味でも悪い意味でも)とがりがあることを指したりすることが多いように思います。
割とポジティブな意味合いで使われることが多い言葉かなと思いますが、言葉の持つニュアンスとして「鋭さ」というところが強調されるキライがあるように感じます。その人の「長所」というような言い方に変えるとそういうニュアンスは和らぐでしょう。
上記の質問を「自分の長所がどこにあるか」という質問に置き換えて考えると、観点は特にゆめみにおいては3つあります。技術力、ビジネス力、人間力、の3つです。この中でいうと「人間力」という部分は割りとわかりにくいですしその評価は相性の部分もあったりするので人によって別れる所ではあるのかもしれませんが、逆に言うとそれだけに他の2つと勝るとも劣らない重要性があります。特にこれはいわゆる「スキル」ではなく、その人の考え方や価値観に根ざすところが大きいので、なかなかすぐに身に着くものではありません。
「エッジ」という言い方をしてしまうと人間力という観点は薄れてしまう気がしましたが、質問者は実は人間力に長所がある人だな、と思っていたので冒頭の質問にはその観点での回答をしています。定義は難しいのですが、人の幸せを本当に考えられるような性質を持っているな、という点がそれに当てはまりました。
なかなか表立たない部分ですが、本質的にすごく大事だと思っています。
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2007年6月20日
おいしい○○を食べたことがない。
先日、友人と食事していた時におもしろい発見がありました。その友人は嫌いなものは何か?と言われてまず挙げるのが「コーヒー」だそうです。割と珍しいなと思って聞いていたのですが、よく人に「それはおいしいコーヒーを飲んだことがないからだ」と言われるそうです。友人いわく「コーヒーはおいしくないからキライなのに、おいしいコーヒーを飲んだことがないと言われても困る」ということで、そういうことをいう人に限って自分が好物のコーヒーを持ってきてその友人に飲ませ「どうだ、おいしいだろう!」と目をキラキラさせるのだ、という話でした。
実はこれ、僕自身にもそっくり当てはまる経験があります。僕も子供の頃からチョコレートが大嫌いで、それもシンプルに「マズイ」からキライなのですが、どうにも人に説明して理解してもらったことがありません。「それはおいしいチョコレートを食べたことがないからだ」と全く同じことをかなりの回数言われました。そして、カカオの含有率がどうだとかホワイトチョコレートはどうだとかわけのわからないことをおっしゃるわけです。
いやいやそうじゃなくて、チョコレートは僕にとってマズイもんなんですって、と説明するのですが共感を得られた試しがない。
自分にとって正しいことは他人にとっても正しいに違いないという思い込みがいかに強いものか、ということがよくわかります。僕も気がつかないうちに同じことを程度や状況の違いこそあれやっているかもしれません。ここでタチが悪いのは、言っている本人には全く悪気がないということです。気をつけよう・・・。
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2007年6月15日
中国人。
三国志なんかを読んでいると、人がよく「憤死」します。憤死とは怒りのあまり死ぬということですが、現在の我々にとってちょっと想像しづらいことではないでしょうか。日本の歴史の本を読んでいても、憤死という言葉をあまり見たことがありません。むしろ感情的には武士なんかはさらさらとしているような印象です。
憤死だけでなく、中国の歴史の本などでは非常に執念深い人物が王様だったり、快楽の求め方にしても残虐性の発揮の仕方にしてもとにかく激しい(日本人的感覚からすると)描写がされていることが多くあります。
これはやはり民族が持っているエネルギー量の差なのでしょうか。こういう人達と商売をしていくというのはとっても大変そうだなあと思いますが、一方おもしろそうでもありますね。
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2007年6月10日
思い込み
これまで、なんとなく我々日本人は農耕型の歴史を持っていて、西欧の人達は狩猟型の歴史を持っているというようなイメージで話されるのを聞いたことが何度かありました。これは本当にイメージの話で、積極攻撃的な性質と保守防衛的な性質というような民族性の違い(?)をニュアンスで表現する場合にこのような言い方をしてきているのではないかと思います。
しかし彼らが狩猟型の歴史を持っているかというとそれは全然そんなことはなくて、むしろ農耕型になって発展してきたという経緯の方が歴史的には正しいと言えます。狩猟採集型の生活をしてきたところで言うと、ジンギスカンで有名なモンゴルはそれに該当するでしょう。
ステレオタイプって結構いい加減なもんだなということを感じるわけですが、しかし一方で確かにモノの考え方や行動特性が国や民族によって違うということはあると思います。最近興味を持っているのはそういう違いが宗教の違いから出てきているのではないか、ということです。一神教と多神教の違い、人間とは何かということについての考え方の違いなど、そういった考え方の違いは色々なところで現れてくるのでしょう。
これもある種の思い込みと言えるのかもしれません。今日は日曜日なので(?)話は飛躍してますが、人を理解しようとするときにその人がどんな思い込みを持っているのかを探る、というのは1つのヒントになるように思いました。
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2007年6月 6日
名古屋でパネル参加。
昨日、名古屋にてパネルディスカッションにお招き頂きまして、「Web2.0」をテーマにお話をしてきました。Web2.0、と言っても職業柄モバイル2.0について話してくださいということになるケースがほとんどです。予測市場で有名な山口先生とご一緒できたり、良いご縁を頂いたことに感謝です。
Web2.0というテーマで話をするときにいつも思うことが、"What is Web2.0?"という内容を果たして皆さん聞きたいのだろうか。むしろ"Where is Web2.0 from?" "Where will Web2.0 go?"という問いについての答えの方が、聞いていてわかりやすいししっくりくるのではないか、ということです。
梅田さんのWeb進化論はどちらかというと後者に力点を置いた内容になっているのではないかなと勝手に考えているのですが、だからこそあれだけ売れたのかなと。
そんなことを考えながら、パネルで話す内容を考えてました。何を話したのかは、また次回にでも。
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2007年6月 5日
やりたいこと探し
「やりたいこと探し」で悩んでいる、あるいは悩んだことがあるという人はきっとたくさんいるのではないかと思います。相談を受けることもままあって、話を聞いていると共通することが多いのは、「今の環境ではやりたいことを見つけられない」という、やりたいことが見つからない要因を外部に求めているというケースです。
仏教であれば解脱することを目指すというようなことになるのでしょうが、なかなか通常の人間にたどり着ける領域ではなさそうです。ただ凡人である僕らにとってもやりたいことを見つけるというのは解脱ほどではないにせよ相当に難しいことのように思います。今の自分がやっていることが「本当に」自分にとってやりたいことなのか、という問いかけをしたときに、YESと心の底から答えられる人が一体世の中に何人いるのでしょうか。
僕はこういう質問をされたときに、視点を外ではなく内、自分自身に向けることを話すことにしています。外的要因に求めても、その答えを見つけるのは僕の考えでは容易ではないからです。自分自身がワクワク感を感じられることは何か?過去にそれに似た気持ちが湧いてきたことは多かれ少なかれあるのではないかと思いますが、そのときの自分を思い出してみること。それがヒントになる。
今の自分のやっていることが本当に自分にとってやりたいことなのかどうかはともかく、今自分のやっていることにワクワク感を感じられさえすればそれでいいじゃないかと、それこそが自分にとっての真実だろうと考えています。
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2007年6月 4日
ネットエイジさんの投資先集会にて
先日、ゆめみに出資して頂いているネットエイジさん主催の投資先集会に出席しました。閉会の挨拶にて小池さんがお話をされたことで、ひどく印象に残った言葉がありました。それは、「創業当初から比べると、いまやネットは当たり前のものになった。」
会社沿革を見てみると、ネットエイジさんが創業されたのが98年2月。約10年前と比べると隔世の感があるかと思います。業界を作るところから手がけられた小池さんの言葉だからこそ、ずっしり感じたんだろうなと思いました。
10年後には今の自分たちのビジョンが当たり前になっているという状態を目指して頑張ろう、と改めて気合が入る言葉でした。
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2007年5月15日
寝付けないときに寝るには。
寝付けないときに寝る方法として、羊の数を数えたりお酒を飲んだり睡眠薬を飲んだり難しい本を読んだりと色々な方法があります。僕自身は非常に寝つきの良い方なのであまりこういった方法に頼る機会はないのですが、そんな中でも自分なりに効果の高い方法をご紹介します。
それは「意識的に夢を見る」という方法です。一見矛盾しているようなのですが、実によく寝付けます。眠れないときは、なんだか色々と物事を考えたりしがちなのですが、その時に言語ベースで考えるのではなくて映像ベースで考えるようにします。それを、頭の中の夢が浮かんでくる箇所から映像が湧き起こってくるイメージで実施します。
これは僕の感覚なのですが、夢を見ているときには頭の後ろの方で映像が湧いてくる感覚があります。ちなみに起きている時に物事を考えるときには頭の前の方で思考している感覚があります。この「頭の後ろの方で映像を湧き起こす」モードに頭を切り替えると、不思議なことに頭の中に映像が自然に湧いてきます。これが夢を見ている感覚に非常に近い。すると体もだまされて(?)夢を見ているのと区別がつかなくなり、気がつくと本当に夢を見ています(=寝ている)。
これは昔ある時に、「寝付けないときには夢を見るようにすると寝れるのではないか」と思い試していると意外にいけるな、ということで以来時々活用しています。是非お試し下さい。
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2007年5月 5日
キースジャレット
またしてもこのおそらくは完璧主義な気分屋のジャズピアニストのコンサートに行ってしまいました。このように書くとなんだかネガティブに聞こえてしまうのですが、ピアノの腕一本で世界を湧き立たせることが出来るような人間というのは、お客であってもそれを聞く態度というものを要求してもそれはそれで真っ当なことであると思えます。
以前、彼のコンサートに行ったときに観客の咳払いがどうも気に障ったらしく「どうして静かに出来ないんだ」と怒ったことがありました。観客席の照明も可能な限り暗くして、なるべく眼前のピアノに集中できるような環境を望む様子でした。完全即興によるピアノ演奏をコンサートでするという通常考えられないことをするような人物ですから集中というのはとても大切なことなんだろうと思います。僕が興味を持ったのもこの「完全即興」というスタイル(?)で、それで彼のコンサートには何度か足を運んでいます。残念ながら僕程度の造詣ではどれが即興でどれがそうでないのかは正直に言ってあまり区別できないのですが、それでも演奏のすばらしさというものは十分に感じることが出来ます。
いやあ良かった。
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2007年5月 2日
イースター島に学ぶ。(2)
イースター島に学ぶ。(1)へ
実は元々はイースター島は、緑豊かな島だったそうです。最初は人を養うに適した風土を持っていたこの島で、徐々に文明は栄えていったとのこと。その衰退の詳細に触れるのはこのブログの主題ではないので大きくはしょると、要するに島で養えるだけの人口を超えてしまった時に、緑は伐採しつくしてしまい、食べ物を争ってお互いに殺し合いをしたり、挙句の果てには食人にまで及んだということです。最盛期に7000人ほどになったという人口もしまいには老人ばかりが数百人しか残らなくなってしまったということでした。モアイ像を作ることが出来たという技術も失われ、文明的には退化した生活を送らざるを得なくなったそうです。
結果、現在のイースター島からは緑が失われ、モアイ像だけが残るさびしい島となりました。
なぜこのようなことになったのか。ここから我々は何を学ぶべきなのか。イースター島にだってある程度先の見える人はいたはずです。こうなることに誰一人気付かなかったということは考えられない。しかし気付いた人も、それを止めることは出来なかった。そもそも止められる人がいなかったのか、止められる人が気付かなかったのか。オプションはいくつかあるのですが、
- 誰も気付かなかった
- 気付いた人はいたが、その人は止める力を持たなかった(指導力の不足など)
- 止める力を持つ人がそもそもいなかった
- 止める力を持つ人はいたが、その人は気付かなかった
いずれにしても、止める力を持っていることと気付くことを一人の人が兼ね備えていなければいけない。この点は、非常に大きな学びです。当たり前のこととですが、イースター島の事例を読んだときに改めてその重さを感じました。
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2007年5月 1日
イースター島に学ぶ。
まったく個人的な動機から「緑の世界史」という本を読み始めています。ここでいう緑とはいわゆる森林、文明の発展と自然の破壊の変遷ということをテーマに捉える中での「自然」を意味するものです。歴史モノを読むのは僕の趣味の1つなのですが、人物や国ではなく「自然」にテーマをおいた歴史モノを読んでみるのも学びがあるだろうということで手に取りました。
この本の冒頭に、イースター島の歴史について簡単に触れられているのですが、それを読んで思わず「う~ん」と腕組みしてしまいました。イースター島といえばモアイ像で有名な、絶海の孤島というイメージです。僕も子供心にその神秘性には好奇心を掻き立てられたものでした。ただこのイースター島、実は現在緑がほとんど島になく、人もほとんど住んでいないそうです。
もちろんあんな石像を立てるだけのことが出来るわけですから、以前は人口もある程度はいたはずです。人を養うためには当然緑も必要です。では一体イースター島に何が起こったのか?
イースター島に学ぶ。(2)へ
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2007年4月27日
京都のリアルSNS。
といっても新しいサービスの話ではありません。先日、お客さんとご飯を食べているときに(また焼肉だったのですが)京都に遊びに行きたいというご要望を受けました。僕自身が京都出身のため、ご案内することはよくあるのですが、「お茶屋遊びをしたい」というご要望はやはり強いようです。
いわゆる「一見さんお断り」のシステムがあるため敷居がどうしても高くなってしまうというのが原因だと思いますが、この「一見さんお断り」というのは要するに招待制のソーシャルネットワークシステムです。このシステムは、京都流の「いけず」的精神によって成立したものではなくちゃんとした理由があってのことです(いけず、とはいじわるという意味の京都弁です)。
お茶屋さんという存在は要するに「代理店」です。お客さんは、お茶屋さんを通じて芸妓さんを呼んでご飯を食べたりするわけですが、お茶屋さんが直接芸妓さんを抱えたり食事を提供する機能を持っているわけではありません。そういうところへのネットワークを持っているということで、お客さんの要望に応じて「よしなに」対応してくれるという存在です。
勘定は基本的にツケであるため、支払いが保証されている人のみがお茶屋さんのシステムを利用できる、ということになります。なので一見さんはお断りなのです。ちゃんと支払ってくれてなおかつ酒の席で無茶なことをしないという信頼関係を持っている人からの紹介があってはじめてこのシステムに参加することが出来る。要するに京都に根付くSNSというわけです。
まあこれはネット上で実施するにはどうにもあからさますぎますが、サービスのヒントはこういう昔からの営みの中にも意外にあるのかもしれないな、とふと思いました。
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2007年4月17日
これって性格出るよね(1)
今日、パートナー企業さんと一緒に電車に乗る機会がありました。京都から新大阪までJRだと、通常では新快速という電車で30分弱で到着します。しかし今日は、新快速が途中で乗客に具合の悪い方が出たということで到着が遅れる、というアナウンスがありました。電光掲示板の表示を見ると、遅延6分、7分、とどんどん遅れが大きくなっています。
一方普通で乗ると、通常なら約50分ほどかかります(確か)。普通はもうすぐ来る時刻。そこで、遅延している新快速を待つか、あるいは普通に乗ってしまうか、という判断。
もちろん待ち時間や遅延時間にもよるわけですがジャッジラインとしては、
- 到着時刻は遅くはなるが確実に読めるほうを選ぶ
- 到着時刻は読めず、ひょっとすると早く着くかもしれないけど遅く着く可能性もある
今回は前者を選び結果はその方が早かったです。ということで判断としては正しかったことになります。どちらを選ぶか結構微妙な時間差だったので、この選択って割と性格出るんじゃないかな、と思いました。手堅くいくか、バクチを打つか。今回はパートナーさんが選択されたのですが、この人は手堅く行くタイプなのかな、と思ったりしていました。
#そう思う瞬間って時々あるので(1)、とつけましたが(2)があるかどうかは不明。
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2007年4月15日
焼肉に思う。
また食べ物ネタ。先日、焼肉を食べていてふと思い出したことがあります。以前に「京都の消費牛肉高は全国一である」と聞いたことです。確か聞いたのは学生の頃で、その頃は「ホンマかいな」と半信半疑だったのですがふと思い出したのでマッコリに少しやられつつも帰って調べてみました。
#酔ってたので裏付けのしっかりした統計データとかではなく、「牛肉」の定義は何かとかそういう話はここでは置いてますのであしからず
わかったことは、
- 牛肉の消費量はどうやら西日本の方が東日本より多そう
- 京都が消費高ではなく消費量で全国一になった年もあるようだ
- 1家庭あたりの牛肉に使う金額は関西方面は特に多く、場合によっては数倍違っている時もある
ということで、学生時代に聞いたことは実は本当だったのかとちょっと驚きました。
理由まで調べるに至ってないのでなぜなのか非常に気になるところです。直感的には関西人の方が関東人より肉が好きそう、という気もあまりしないです。なんとなくおいしい和牛の産地は関東より関西の方が多い気がしますが(神戸牛、近江牛、松阪牛、など)、流通の都合上関西の方に多く流れる?なんだかあまりいい仮説ではないですね。理由探しは宿題かな・・・。
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2007年4月13日
赤霧島を飲む。
最初にブログを書き始めた頃には、「食い物のネタは書くまい」と思っていてそういう話を人にもした気がするのですが、最近は気分が変わってきたので書くことにします。いい意味で肩の力が抜けてきたのだという解釈をしてもらえればと思います。。。と言い訳から入っているのですが、昨日、宮崎料理を食べました。宮崎といえばNILSというIT業界の経営者が集まるイベントで毎年行っているのですが、前回行った時に飲んだ焼酎「赤霧島」がとてもおいしかった。ただ、あまり流通していないらしく見たことがなかったのですが、
昨日のお店には赤霧島があったのでつい飲んでしまいました。いやあやっぱりおいしい。ところでなんでこれってあまり流通しないのだろうと思って調べてみると、原料となる「ムラサキマサリ」という芋があまりとれないからだそうです。製造元である霧島酒造という会社、Webもキレイに作っていてECもちゃんとやってます(ケータイ通販やらないかな・・・)。創業が大正の会社なのですが、企業理念のページもあって、ユニークな雰囲気です。
ムラサキマサリは栽培量を増やしているそうなので、もっと飲める機会が増えることを期待してます。
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2007年4月 9日
新卒説明会で思う。
この数ヶ月間、隔週くらいで新卒向けの採用説明会をやっています。思い出すのは創業した2000年の今頃の時期も、大学で採用活動してたなあ、ということです。当時は採用活動といってももちろん正式なものではなく、ゲリラ的に大学の同級生に声をかけては「一緒にやらないか」という話を持ちかけていました。
この時期は大学でも採用説明会が開かれていて、名だたる大手のメーカー企業などが教室で説明会を実施しているその横で、間の休憩時間に出てきた学生をつかまえて「いやいや大手なんて行ってる場合じゃない、自分の手でやれることがあるしその方がうまくいく!絶対おもしろい!」というような話をしていたものでした。当時は人をロジックで納得させられるような戦略があるわけではなかったので、思いを伝えるしかなかったのですが、自分自身どう考えても自分のやっていることが面白いと思っていましたし、普通に就職するよりも自分たちのようなやり方が絶対うまくいくと信じていました(今でもそうですが)。ハタから見るといかにも奇天烈な連中だったんだろうと思いますが、思いに共感してくれた何人かはその後入社を決意してくれました。
よく振り返ってみると今新卒説明会で話していることと、言っている内容あんまり変わってないんです。実はおんなじこと言ってるなあ俺、と。今回の新卒採用でも、思いに共感してくれる人が来ることを楽しみにしています。
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2007年4月 8日
桜。
今日は京都に来ています。東京ではもう桜はほとんど散ってしまっていますが、新幹線で京都に入ったときに、ちょうど満開な桜が見えました。京都の場所によって、桜が早かったり遅かったりするので割合長い間桜を楽しむことが出来るようです。街中にもそこかしこに桜の木があるので、帰り道なんかでもどこなりと桜の咲いている様子を愛でることが出来ます。先週は、祖父の法事で京都にいたので色々なところで咲いているのを目にしました。
桜が満開な様子というのは心が賑わうものがあります。今この瞬間の華やかさ、木という長々と生き続ける生命が1年という時間をこの瞬間に凝縮させたという点でまさに晴れの舞台。こいつも頑張って花咲かせてるよなあ、と思ってしまいます。
でも今年は花見行けなかったなあ。
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2007年4月 6日
ゆめみは9期目。
しばらくの間更新をしていませんでしたが、新年度(ゆめみは4月から年度が始まります)開始ということでそろりそろりと書き始めようかと思います。おかげさまで、2000年1月に創業して今年で第9期を迎えます。なんとまあそんなになるのか、という思いがあります。最近外で会う人の中には、ゆめみより新しく設立された会社の人もたくさんいらっしゃいます。むしろこの業界の中では長くやっている方になってしまうのかもしれません。
継続は力だと言いますが、ここまで何とか続けてこられたのも周りの皆さんの助けがあってのことだなあと本当に感謝です。お世話になっている方は大勢いますが、頑張ってこれからもやっていくということをご恩返しとさせて頂いて、今年も一年しっかりやっていこうと思います。
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2006年10月 1日
65歳の挑戦、セルジオ・メンデス。
セルジオメンデス、というボサノバの巨匠がいます(Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)、など有名曲多数)。1941年生まれなのでもう65歳という結構いいお年の方なんですが、実は彼のライブに先日行って参りました。
世界にボサノバを広めた人の一人なのですが、その年になっても創作意欲は失われておらず、最新のアルバムではヒップホップとの融合を図っています。実は最新アルバムは聞かずにライブに行ったのですが、実に見事に新しい世界観を作っていたと感じました。ボサノバのブラジルな響きとラップのテンポが心地よく合わさっていて、気持ちよく音楽に浸ることが出来ました。
60歳を越えて、最早何も言わなくても世界の巨匠でい続けられる立場にあるのに、敢えて自らのこれまでの音楽性の殻を破ることに挑戦する姿勢。そしてそれをしっかりと成功させているセルジオメンデスという人間にただただ畏敬の念を持ったライブでした。
23:30 | Permalink
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2006年9月21日
名人伝
先日、某雑誌で「オススメ本は何?」という取材を受けました。どんな本をオススメしようかかなり迷ったのですが、学生さん向けということもあって中島敦の「名人伝」という短編を選びました(本というには短くて、短編集に含まれる1つという感じです)。
ある男が弓の名人になって一生を終えるまでが描かれているのですが、自己をひたすらに鍛錬していくとはどういうことなのか、そこで得られる喜びとはどんなものなのか、さらなる高みを目指していくとはどういうことなのか、そういうことが短い中に凝縮されていて非常におもしろく、また共感できる話になっています。
この手の「道を究める」的な話は個人的には好きでして、以前少し紹介したバガボンドも同じ理由でとても好きなのでした。
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2006年9月19日
CNETさんに掲載。
CNETさんがVenture Viewというコーナーを最近開始されたのですが、その中にあるブログのコーナーで取り上げて頂く事になりました。タイトルも「ビジネスリーダーズブログ」ということで、層々たるの方々の中でしかもこのようなタイトルの中で掲載して頂くのは恐縮の極みなのですが、折角機会を頂いたからには何かしら貢献できるように頑張りたいと思います。更新頻度も上げていかないといけないですね。
23:17 | Permalink
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2006年9月16日
Wii 12/2
おとついですが、個人的に注目しているWiiの発売日が12/2に決まりました。価格は25000円。やる暇があるかどうかはともかく、とっても楽しみです。任天堂は尊敬する企業の1つですが、今回の大胆な取り組みがどのように評価を受けるのか、実際の1ユーザとしてどう感じるのか、早く触ってみたいですね。
触ってみたい、遊んでみたい、そのハードで動くゲームを作ってみたい。そういう風に思ってもらえるようなものは僕らの仕事に当てはめるとどのようなものになるんだろうか?そういうものの考え方を時にしてみるのもおもしろいなと思います。
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2006年9月 9日
太陽
太陽、という映画を先日見に行きました。ロシア人の監督が取った映画で、終戦前後の昭和天皇を描いた映画です。
自ら全てを背負い込む覚悟を持つ姿。神格化されることを嫌い自ら人間になろうとする姿。そんな姿が映画中では描かれていたように感じました。僕の好きな漫画の1つに「蒼天航路」という三国志の漫画の1場面を思い出しました。それは、曹操が「天子とは何か」ということについて、天子本人にこう語りかける場面です。
「天子とは万民に無条件に愛しまれる存在です。曹操は万民の筆頭に立ち、天下の諸事を畏れと敬いによって政仕ります」と。政治における象徴=万民に無条件に愛される存在、という意味で戦後の天皇のあり方もこの考え方と共通するものがあるように感じ、この映画を見たときに思い出したのでしょう。昔から、政治を行う者、象徴となる者、地域や時代の差はあれ同じことを繰り返してきているのだろうかとふと思いました。
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2006年8月16日
少し間が空きました。
お盆のせいか、投稿に少し間が空いてしまいました。京都人の僕としては今日は大文字の送り火の日。ほんの30分ほどのイベントですが、5つの送り火を全部見れる場所というのはなかなかありません。この日は高い場所は皆人だらけになってしまいます。とはいうものの、京都は規制があって高い建物は基本的には建ててはいけないことになっているので、高いと言ってもせいぜい4、5階立てだったりするんですが。
祖先に思いを馳せつつ、僕も今晩は亡くなった祖母・祖父に近況報告でもすることとします。
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2006年8月 6日
9.11映画
この夏に、9.11関連映画が2本公開されます。同じ時期に同じテーマを扱った映画が2本公開されるということで珍しいパターンではありますが、この事件を振り返ることが出来るだけの時間が経ったということなのでしょうか。9.11事件を映画で全世界に公開するということに何がしかの政治的な意図があるのかどうかはわかりませんが、そういう勘繰りなしで捉えたとしてもアメリカという国の力強さというか堅固な意思を感じました。
こういう事件を改めて世界に知らせなければいけない、という使命感のようなものでしょうか。あるいは無邪気な素直さといいますか、そういったものがこの2本の映画が同時期に公開されるというところから感じられました。
そういう意味で、見てみたい映画です。
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2006年7月26日
明日の記憶
※ネタバレです。
明日の記憶、という映画を先日見に行きました。主演は渡辺謙、監督は堤幸彦。渡辺謙は50歳を迎えんとする広告代理店で働く敏腕サラリーマン。仕事で毎日忙しく過ごす日々の中、どうも物忘れをしがちになってきた。最初はちょっとした誰にでもあるミスだったのが、次第に大きなミスに。妻に説得され、渋々ながら病院へ検査へ行き、ちょっとした記憶テストを受けさせられる渡辺謙。「こんなバカみたいなテスト・・・!」「・・・あれ?おかしいな」「そんなはずはない」次第に本当に記憶に障害があることを、自分自身でも感じざるを得なくなる。
「若年性アルツハイマー病です」医者はそう渡辺謙に宣告する。ショックのあまり屋上へと駆け出す渡辺謙。
この次のシーン、すごく心にぐっと来ました(セリフは記憶に頼っているので多少違っているかもしれません)。
「先生、ゆっくり死ぬって言ってくれよ!!」「若造が、お前に俺の気持ちがわかるのか!!」怒鳴る渡辺謙に、医者はこういう。「僕の父も、同じ病気です。」「・・・治療法は確かにありません。ただし、進行を遅らせることは出来るのです。僕は、医者としてあなたに出来ることがあります。簡単に、あきらめないで欲しい。出来ることに取り組む勇気を持って欲しい」
この医者の出番はここで終了するのですが、このセリフには涙しました。この前のシーンで、36歳と若いながらこの医者は病院中(かなり大きな建物の総合病院です)で最もアルツハイマー病の治療経験のある医者だ、と自己紹介をしています。そこと合わせて、なぜこの人が医者になったのか、どういう思いを持ってアルツハイマー病という治療法のない病気に取り組んでいるのか、自分の父との間にどういう感情のやり取りがあったのか、多くのことが想像されます。その上での「簡単にあきらめないで欲しい」という言葉には、とても重いものがあります。この医者の、心底にある思いが伝わってきます。
あきらめずに立ち向かっていくこと、それは時に残酷なまでの現実を相手にしなければならない時もあるそれでも、前を向いて、自分に出来ることに取り組む勇気を持って、現実と正面から向き合って生きていく。実際この映画ではこの後その現実がまざまざと描かれます。渡辺謙とその妻の病気と立ち向かう姿勢は、躓きながら傷つきながらも懸命にあきらめずに戦うというものでした。
最後には矢つき刀折れ、渡辺謙は最愛の妻の顔さえ思い出せなくなってしまいます。映画の冒頭のシーンで、完全に病気が進行した渡辺謙を看病する妻の姿が描かれています。妻は、夫が自分を忘れてしまっても離れることを選択しませんでした。
逃げずに戦い続けることを、あなたは選択できますか?あきらめずに現実に立ち向かい続けることが出来ますか?この映画のような状況は誰にでも起こり得るだけに、より実感のあるものとしてこうしたメッセージを受け取りました。涙なしには見ることの出来ない、とても心に染みる映画でした。
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2006年7月17日
桃を丸かぶり。
僕は桃が好きなんである。実は二十世紀梨の方が好きだが、桃はそれに次いで好きな果物だ。今日、頼んでおいた(といってももらいものだが)桃が届いた。食べ方はもう中学の頃から決まっていて、おもむろに皮をむいて丸かぶりである。桃は汁気が多いのだが、甘い汁をなるべく余さずに吸い上げるように食べる。うまい桃は皮がすんなりめくれる。2、3回で全部めくれてしまうこともあるが、そんな時はこの桃はうまいに違いないと僕は喜び勇んでかぶりつくのである。何と至福の瞬間であることか!あの星空より赤いワインよりだいすきな桃のために今日は歌いたいようなそんな気分になる。
ちなみに僕は左利きなのだが果物ナイフを持つ手はなぜか右なのだ。理由はよくわからないが気がついたら右手で果物ナイフを使っていた。
#梨もそろそろ出てくるから、入手経路を確保しておかないとです。
##連休2日目の夜ということでこんなネタでも許してください。
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2006年7月 7日
ウィンブルドン。
ワールドカップも終盤を迎えてきていますが、実はテニスの4大大会の1つであるウィンブルドンも終盤を迎えてきています。僕が知っていた頃(およそ10年前!)と比べると顔ぶれも随分と変わっていて、アガシも引退を今大会で決めましたし、どんどん知っている選手がいなくなっています(当たり前か・・・)。
いや~、一度ナマで見に行きたい!
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2006年7月 5日
仕事をしているわけ(7)
仕事をしているわけ(6)からの続き。
99年の春は、「ゆめみ亭」と出会い、そこでうごめくたくさんのオンラインユーザと直に接することで、ネットのおもしろさ・可能性の大きさを実感した時期でした。研究活動とは違い、実際のユーザがいて楽しんでこのサービスを使っている。その人達は、このサービスがなければ出会うこともなかった人達だった。実際、オフ会と呼ばれる飲み会も全国で何度も開催されていました。
テキストだけでのコミュニケーションでしたが、単なる暇つぶしに使う人もいれば、匿名だということもあって意外に深い悩み相談をしている人もいる。ビジネスの可能性という視点は当時学生であった僕らには正直に言って希薄でした。ですがこんなにたくさんのユーザ同士が交流したり情報交換したりすることが出来る場・サービスというものは明らかにこれまで世の中になかった。まったく新しい情報流通の仕組みが目の前にあり、こういうものがネット上でこれからどんどん広がっていくに違いないという感覚を非常にリアルに感じ取ることが出来ました。これは間違いなく社会の様相が変わっていく、そういう確信を持ったのもこうした経験を通じてです。
これはすごいわ--という感覚をネットに対して持つことが出来た、これは仕事をしている理由として非常に大きな割合を占めています。
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2006年6月28日
コミュニケーション。
コミュニケーションって「相手にどう伝わるか」だなあと思います。
僕らの仕事でも言った言わないであったり、お客さんの要望は実はこういうことでした、というようなことは日々起こり得ます。また仕事だけではなく、自分にとって大事な人と話をする時にも同じことが言えるのかなと思います。
自分がどう言ったか、ではなくてそれが相手にどう伝わったのか。あるいはどういう意図を相手に伝えたかったのか、それは相手に伝わったのか。コミュニケーションってそういう思いを持ってやることがとっても大事だなといつも思います。
僕もまだまだ修行中ですが、忘れずにいたいことの1つです。
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2006年6月26日
仕事をしているわけ(6)
仕事をしているわけ(5)からの続き。
片岡は当時から「ゆめみ亭」というチャットサイトをWeb上で運営していまして、既に結構大きな規模になっていた。99年当時としては国内でも最大規模のチャットサイトになっていたのではないでしょうか。毎夜数百人がゆめみ亭に訪れて来ていました(残念ながら今は運営していません)。
これを見たときに非常に新鮮な、ネットの可能性を体現するということはこういうことではないかという思いがぐぐっと出てきたのです。それで、この運営に僕自身も関わることとしたのが片岡との出会いのきっかけでした。ちなみに彼は当時から変わった男で、物事に集中すると周りを気にしなくなるというか目に入らなくなるというか、一緒に歩いていて妙にモノにぶつかることが多いなコイツ、という時は自分の思考にどっぷり浸かっている時なのでした。また、自分のエネルギーを使い切ることが出来る人間で、何日か徹夜で作業を続けたかと思うとスイッチが切れたように眠りに入るというサイクル(?)を当時から持っていました。いい意味で「こいつはイカれてるな」と思える非常に稀な人物だというのが僕の印象でした(あまり今も変わっていませんが)。
そんな中、学業はもうほぼ完全に放り投げてゆめみ亭の運用の方にかかりっきりになったのが99年でした。加えて、自分でも何かサイトを立ち上げてみようと思い自分でやり始めたサイトもありました(こちらも今は残念ながら続いていません)。
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バガボンド23巻
週末に買って読んでしまいました、バガボンド 23巻
。ひたすらに道を究めようとする武蔵の姿、苦悩の様が鬼気迫る様子で描かれていて、とても好きな漫画の1つです。
今回ぐっと来たシーンは、当代随一の刀研ぎ師(として描かれている)本阿弥光悦と武蔵が語る場面。その場面で武蔵の刀を研いでいる光悦は、天下人家康の刀研ぎのオファーは「一線を退いた身」として断るも武蔵の刀は自らの意思で研いでいる。
光悦は、数十年の刀研ぎの中にその業を進め、刀の中に美しさを求める。「この刀から呼び覚ます 鉄(くろがね)の中に眠る 純白を 紺碧を 真夏の蒼穹よりも黒々とした青を―」「刀を万象と見立て天地と見立てた」
しかし、刀は刀であり、人を斬るためだけにある刃物である。自らが追い求めた美を体現するものとしての刀、人を斬る刃物としての刀、光悦の中でそれを両立させることに徐々に矛盾が生じてくる。「刀は刃物として与えられた命を全うしてこそ美しい。そこを忘れるとおかしなことになる。」「研いでも研いでも満足できなくなってしまった」と光悦は語る。
そして「刀を究極に美しく有らしめるためには、刀であってはならないような気がした」と。光悦の中で、自らが追い求める「美」と「人を斬る刃物」は両立し得ないということなのだろうか?光悦は、万象であり天地である刀、美を体現するものとしての刀を追い求めた。
そのような「刀」を、一体誰が使うのか。少なくとも光悦にとって、徳川家にはその資格はなかった。「本当の意味で剣こそ己と生きている人は稀。そういう人は余計な色がつくのを拒む。ただ己の色を深く濃くしていく。その色は美しい。その人の色。そして私はやはりそんな美の為にのみ研ぎたい」光悦は自らが追い求める究極の刀を使う人物は、同じく剣を万象と見立て自らの美を体現するものとしてその道を極めようとしている人物であってほしいと考える。「美しいならば、人を斬ってよいと思っているのも事実」光悦にとっては美こそすべてであった。
このような「究極の求道者」とは一体何か、という問いかけをこの漫画からは感じます。そこがバガボンドの魅力なのだと思います。
ちなみに本阿弥光悦についてはWikipedia:本阿弥光悦などにあるように、刀鍛冶というよりはむしろ書家として有名。陶芸などにも造詣が深かったようで、芸術家としての側面が強い人のようです。
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2006年6月20日
仕事をしているわけ(5)
仕事をしているわけ(4)からの続き。
というようなことで、研究活動が腑に落ちなかった僕でしたが、当時はそれでえらく悩んだ覚えがあります。卒論の時期が99年2月頃(だったかな?)、自分なりの納得感が得られない中で卒論を書いてそのプレゼン準備をする必要があるのですが、それでも「ここが新しいんです・こんな意味があるんです」と言わなければ研究にならないので、なんとかそういうことを考える。でも本質的に自分なりにそう思えていないわけですから、自分の中での矛盾は一向に解決しない。なかなかにしんどい時期でした。
そんなこんなで「あ~、研究って一体なんだろう」というようなことをウダウダ考えていた中での大学院進学。ネットの持つ可能性、社会に影響を与えられるはずのものなのではないかという感覚を実現に持って行けるような状況とは程遠いなと思っていた当時に出会ったのが片岡でした。
#仕事をしているわけ、というテーマのはずですがなんかだいぶ間延びしてきてますね。そろそろ本題に入っていかないと
09:00 | Permalink
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2006年6月19日
引き分け。
日本クロアチア、引き分けです。惜しい!惜しいなあ。次のブラジル戦には勝たないと決勝に行く可能性がないそうです。勝っても行けるかどうかわからない。うーむ、最後の最後まであきらめずに頑張ろう!
00:41 | Permalink
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2006年6月18日
障害者も映画楽しんで 日本語字幕や副音声 “バリアフリー上映会”
僕の妹の記事が、先日の産経新聞の夕刊に掲載されました。
実家に帰って接していると昔とあまり変わらない頼りない感じで、いっちょまえにやっていけてるんかなあと兄心に心配に思うこともしばしばなのですが、こういう記事が出てくるようになると、どうやら少しはちゃんとやってるみたいやなと思わず嬉しくなります。知らない間に成長しているもんなのかもしれないですね。我が妹ながらよくやってるなと思います。
妹に教えられることは昔からとてもたくさんあって、僕の色々なものの考え方のある種の源泉の1つになっているようなところがあります。そのうち、ここで書くこともあるかもしれません。
19:01 | Permalink
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2006年6月16日
俺ってよわ!と思う瞬間。
#よわ=弱い、の意味。関西弁です。
アポに遅れそうになったときにアポ先に電話で「スイマセン、5分くらい遅れそうです!」と連絡をするも心の中で「いや~、10分くらい遅れるかもな・・・」と思ってる時。
かといって「10分遅れます」というのもなんか守りすぎな気もするんですよね。複雑だ。
↑そもそも遅れるなよ。
09:38 | Permalink
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2006年6月15日
やりがいと責任。
やりがいのある仕事をしたい!と誰しも思います。やりがいってなんだろう?と改めて考えてみました。まず、僕はどんな時にやりがいを感じるのか?物事を動かしているなと感じられるとき、自分の判断で物事が進められるなと感じられるとき、自分なりの工夫や試行錯誤の結果が仕事の反映させることが出来ているなと感じられるとき、思うように・描いたとおりに物事が進んでいるなと感じられるとき、自分のやったことが成果に結びついたとき、成長が感じられるとき、などでしょうか。
やりがいって基本的に自分で感じるものなので、仕事に対する満足度の高い状態、と言い換えることも出来るかもしれません。個人的には、その仕事を終えるのに必要となる消費エネルギー量がその人にとって大きいと感じられる場合にやりがいがあるといえるのかなと思います。
少し視点を変えて、仕事を依頼した側に回って考えてみましょう。仕事を依頼する立場の人は、上司であったり顧客であったりします。まず大前提として仕事を依頼する側としては、依頼した仕事はきっちりこなしてね、ということがある。その上で、どうせ依頼するならやりがいを持ってもらえる仕事の方がいいよね、ということになる。
依頼する側としては、きっちりこなしてくれることがまず第一なわけですから、きっちりこなしてもらえそうな仕事を依頼することになる。つまり、「この人(あるいは会社)ならこれくらいはまあ出来るだろう」と踏んで依頼をする。この踏み方は依頼者によって様々だと思いますが、「きっちりこなすこと」を前提とする以上「きっちりこなせるように」依頼する傾向が強くなるでしょう。つまり、依頼された側からすると簡単→やりがいレベルとしては低い仕事になる(一方で逆の傾向=困難な仕事を依頼する傾向、もあってこの辺のバランスは難しいのですがそれはまた今度)。
つまり、やりがいのある仕事であればあるほど、それに伴う責任が大きくなることになります。逆に言うと、責任の伴わない仕事でやりがいがある、ということもないのではと思います。自分の中でもこれを改めて明確にして仕事に取り組んでいかないとな、と思いました。
10:04 | Permalink
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2006年6月14日
仕事をしているわけ(4)
仕事をしているわけ(3)からの続き。
ところがです。どうも研究活動というものがピンと来ないわけです。僕は自分の感覚として腹に落ちるかどうかということを結構大事にしていて、腹に落ちるかどうかでアクションの際のエネルギーが随分と違ってくるなと自分では感じています。腹に落ちた例で、音楽で言うと僕は岡村靖幸が大好きで(覚せい剤取締法違反で逮捕されちゃったのは非常に残念だったのですが)、高校生の時に彼の音楽を初めて聞いたときに「おお、これは俺の求めている音楽に違いない!!」と衝撃を受け、以来ずっとファンで未だに時々CDを引っ張り出しては聞いたりしますし、CDはおろかライブのDVDも買い揃えてしまっているという有様。。。。おおっと、この話をしだすと抜け出せなくなってしまうのでまた別の機会に。とにかく音楽で言うと岡村靖幸はバッチリ腹に落ちたわけです。
しかし研究活動は腹に落ちなかった。結局最後まで落ちませんでした(石田先生ごめんなさい)。アカデミックな活動というものは、学術的に新しいかどうかが問われます。これまで誰もやっていないことであること、が大前提となり、テーマのおもしろさ・切り口の斬新さなどが問われてきます。僕がネットに触って感じたことである、これは社会を大きく変えていくものなのではないか、という問いかけへの答えを得ることはどうやら出来ないのではないか。それが研究活動を1年続けた中での当時の僕なりの考えでした。
もちろんやり様は本当はあったのだと思います。今であればひょっとすると自分の関心事と研究活動をうまく結びつけることが出来るかもしれない。データセクション(株)の橋本大也さんも実はこの石田先生のところコラボアドバイザになっておられます。本来はそういう柔軟さを持った研究室だったのだと思いますが、残念ながら当時の僕にはそれを活かそうというよりも、研究活動というものの独特の社会との隔たり感のようなものに対する疑問が先にたってしまいました。
09:04 | Permalink
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2006年6月13日
オーストラリアに負けた。
負けました。今、負けました。見事な逆転負け。あそこまで粘ったのに、惜しい。もう少し頑張ってれば・・・と第三者がいうのは簡単。実際にやるのは困難。どう考えてもどう見ても、全力でチャレンジしてます。負けは負けとして、精一杯やった彼らに拍手を送りたい。
そして次の試合も意気消沈せずに全力で取り組んで欲しい。たとえ決勝リーグに残れないことが確定したとしても、精一杯出し切って欲しい。あそこでプレイしている選手は、色々なものを背負ってるわけです。フィールドに立てずに悔しい思いをしている他の選手の気持ち、彼らにあこがれる少年の夢、応援している人達の希望、他にもたくさんの思いが背中に乗っている。最後の1試合まで、頑張って下さい。
最後の最後まで全力でチャレンジすること、背中に色々な思いを乗せていること、これって僕らも同じですよね。日々、そういう思いを忘れずに仕事に取り組もう、と彼らの姿を見て改めて思いました。
00:34 | Permalink
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仕事をしているわけ(3)
仕事をしているわけ(2)からの続き。
京大工学部は4回生(4年生の意味です。関西?京都?ではそういう言い方をします)の時に研究室への配属が行われます。工学部はいくつかの学科に分かれていて、僕は情報学科というコンピュータを専門にやる学科に所属していました。工学といっても結構アカデミックな内容が多くて、僕が関心のあったネットを主軸としている研究室は実は当時あまりありませんでした。(授業もネットに関するものはあまりなくて、雰囲気的には、あくまで僕の主観ですが、ネットやそれに関連するサービスというものは少し軽いものとして扱われているような印象がありました。とはいえ授業自体の組み立ては良く出来ていたと思います。実験が基本的にほったらかしベースであることは間違いないのですが、チューリングマシンや論理回路、CPUの設計などハードウェア全般、オペレーティングシステム全般、一通り基礎的なところは押さえていました)
その中でも一番興味の近そうな研究室だったのが石田研というところでした。工学部という実践に近い分野を扱う学部であるとはいえ、割とアカデミックな(理論的要素が強く実践的要素が弱いという意味で)色合いの強い研究室が多いと感じた中、この研究室は外部企業とのつながりを多く持って「やわらかい」研究をしていました。やわらかい、というのは直感的におもしろそうであって理論をわかっていないと理解しづらいような類のものではない、というようなニュアンスです。より応用的・実践的といってもいいかもしれません。人工知能への取り組みや、3次元空間内でのコラボレーションに関する取り組みなどがそれに該当します。
僕自身の興味は、コンピュータで何が出来るか・ネットで何が出来るかという「応用」の方にありました。ネットを使うことで何かしらすごいことが出来るのではないか。そんな期待を持ってこの研究室を選んだのです。ただ、僕自身もじゃあ具体的に何が出来るのか、そうしたイメージをまだ持てていたわけではありませんでした。
00:15 | Permalink
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2006年6月11日
全仏オープン。
久しぶりに見ました、テニスの試合(テレビですが)。あまりに久しぶりで、名前を知っている選手がほとんどいなくなってしまってます。全仏オープンの女子決勝戦でした。全仏はクレーコートなのでそんなに派手なプレイスタイルの選手は残らないのですが、じっくりと打ち合いが続く様を見てつい夢中になってしまいました。ついラケットを取り出してテレビの前で振ろうとしてしまう。
自分でやらなくなって久しいですが、4大大会は一度は絶対にナマで見たいのです。
02:46 | Permalink
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2006年6月 6日
仕事をしているわけ(2)
仕事をしているわけ(1)からの続き。
さて一方、初めてネットに触ったのもちょうどそんな時期(18、9の頃)でした。当時のブラウザはMosaicだった記憶があります。なにやら灰色基調の画面で色々な情報が飛び込んでくる。メールを送ると瞬時に相手のところに届いている。これはなんだかすごいぞ、と思いました。なんでこんな便利なものをみんな早く使わないのだろう?
たまたま大学2年生の夏、アメリカに1ヶ月と少し滞在する機会がありました。小学校時代から仲の良かった友人が向こうに住んでいることを知っていたので、何とか彼のメールアドレスを入手して事前にやり取りをして会うことができた、ということがありました。これもメールがなければ会えなかったんじゃないか、なんて便利なんだ、と思ったものでした。
95、6年当時はこの情報のやり取りの速さやWebにあるわけのわからない大量の情報を見て、漠然とではありますが何か大きい変革が訪れるのではないかという感覚を持ってネットに接していたのでした。
09:05 | Permalink
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2006年6月 5日
仕事をしているわけ(1)
先日のエントリ起業したいですか?で、その仕事をしたいと本当に思ってるなら起業しましょう、ちょっとでも迷いがあるならもうちょっと考えて見ましょう、という話をしました。では僕はなんで仕事をしているのか?先週の面接時にもこの話をしたので、改めてブログでも書いてみようと思います。
僕が初めてネットに触れたのはおよそ10年ほど前、大学に入った頃でした。それまで僕が触ったことのあるコンピュータ(と言えそうなもの)はせいぜい家庭用ゲーム機くらいのもので、当初はブラインドタッチもろくに出来なかった。進路として工学部情報学科を選択していたものの、高校の時にどういう進路を選ぼうかなと色々と考えている中で、実は消去法で残ったのが工学部情報学科だったというのが正直なところでした。
入学が95年だったのですが、当時はWindows95が出るかでないかの瀬戸際の所で、最初に買ったパソコンにはWindows3.1が入っていました。記憶をたどればHDDが500MBとか、メモリが8MBとか16MBとかそんなスペックだった気がしますが、ともかくパソコンという代物を初めて買った僕はあまりのわけのわからなさに「どっから手をつければいいんだろう」という状態だったことを思い出します。一方大学ではWindowsなんて一切使わない。Unixマシンが実験室にあって、とりあえずいじってください、使い方がわからなければ自分で調べてください、というほったらかし状態。こちらはもうもっとわけがわからない。ログインすると唐突にコマンドプロンプトが出てきて、触ったこともないこちらはそもそも何をすればいいのか、何が出来るのかさっぱりわからない。
そんな学生への初めての演習課題は「バブルソートのアルゴリズムをC言語で実装せよ」でした。これはもうかなりつらかった。なんせC言語が何かということすらわからず、ポインタはおろかファイルの概念すらよくわからない。ソートさせる数値をどうやってプログラムに渡すのかとか、そういう根本的なところで躓く躓く。(すいません、ちょっとマニアックですね。バブルソート、とは数字を小さい順あるいは大きい順に並べ替えるやり方のことで、プログラムを学ぶ際によく出てきます。ポインタというのはプログラミング言語であるC言語が持つ仕組みの1つで、C言語を理解するには必須なのですが初心者にとっては結構とっつきの悪い仕組みだったりします)
ああこりゃあ大変なこっちゃと、当時の僕は思ったものでした。
・・・初めてネットに触ったときのことを書こうと思って始めたのですが、思ったより長くなりそうです。続きは次回。
09:06 | Permalink
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2006年6月 3日
WiiがE3 Best Show受賞。
http://www.gamecriticsawards.com/index.html
地元ということなのか、小さいころから親しんできたということなのか、なんとなく任天堂が評価されると嬉しかったりします。とはいえWiiは確かに欲しい。
11:12 | Permalink
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2006年6月 2日
起業したいですか?
先日、とある取材を受ける中で「これから起業を志す人に何かメッセージを」という質問がありました。こういう質問はよく受けるのですが、こういう場合に僕はポジティブな回答があまり出来ないのです。
大体において答えるのは「本当に心の底からその仕事をやりたいと思っていますか?思っているのなら起業するのも良いと思います。もし少しでも迷いがあるなら考え直した方がいい」というニュアンスのことです。起業ってあまり無闇に人に勧めることではないというのが僕の考えで、単純に起業するって良いよ!と言い切ってしまうのは自分としては物凄く無責任だなあという感覚を持ってしまうのです。
もちろん僕自身は起業して良かったなと、自分自身のこととしてはとてもポジティブに捉えていてまあこれ以外の選択肢はやっぱりなかったなと思っています。ただ、それは「起業を志す人」に対してそのまま当てはまるとは実はあんまり思えない。向き不向きってあると思いますし、やりながら迷うこともしんどいことも多々出てくるわけです。そこで信じられるのって「俺はこの仕事を何としてもやりたいんだ!」という思い以外にないと思っています。そこに迷いがあったら何かあった時にとってもつらくなるような気がします。なので、そういう回答をついしてしまう。
強い思いを持つということと、それを持ち続けるということ。未熟な僕に何か伝えられることがあるとすれば、その1点です。
21:35 | Permalink
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2006年5月14日
PS3発売日決定(2)
先週はE3関連サイトに心惹かれていました。
どう見ても、Wiiおもしろそうです。あのコントローラを早く触ってみたい!とワクワクさせられます。半ば成熟したのではないかと思われている業界において、ああいったワクワク感を産み出すことが出来る任天堂という会社に敬意を表します。
ゲームとは一体何なんだ、任天堂が世に出したいものはそもそもどういうものなんだという問いかけを根本から繰り返した結果、こういうものが生まれてきたのだろうなと思いますが、その姿勢を常に持ち続け実施していくことは当事者であればあるほど難しいものです。そこを原点に立ち返れるのが彼らの強さであり、学ぶべき点だと感じました。
そもそも我々は何を世の中に提供していきたいのか?という問いかけを、常に自らにしながら仕事に取り組むという姿勢を持ち続ければ、企業規模や市場の成熟度に関わらず革新的なことが出来る。うーむすごい。
00:32 | Permalink
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2006年5月 4日
Amazon.com DVDトップセラー
ふと、調べていてAmazon.comのDVDトップセラー第1位がFinal Fantasy VII - Advent Children (2-Disc Special Edition) じゃないですか(5月4日14時時点。1時間単位の更新なのでもう1位じゃないかも)。アマゾン怖いよな~と思っていた矢先だったのでちょっと嬉しい。
13:57 | Permalink
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