ご挨拶

移り変わりの激しいモバイルインターネット業界ですが、最先端を切り開く一員としてそれがどういうことなのかを自分なりに解釈・翻訳してお伝えすることで、業界内外に関わらずワクワク感を共有できる人が増えると嬉しいです。

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深田浩嗣 Koji FUKADA

1976年京都生まれ、京都育ち。仕事を始めて東京に在住。

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2009年3月16日


米国携帯業界にとっての失われた時間

最近クラウドに興味を持って色々と調べてみていますがその中で最近読んだのが小池良次氏著「クラウド」。どちらかというとグーグルの戦略についての記述に中心が置かれているような印象の本だったのですが(個人的にはアンドロイドについて1章割かれていたのは良かった)そちらの方で興味深いことが書かれていました。

米国の携帯業界が遅れており失われた時間は戻ってこない、という件は特に関心を引きました。概ねは以下のようなことです。

日本では端末買い替え需要を促進するモデルを作ったことで加入者の増加と端末の進化が次々と進んでいくこととなったが、米国では「安く長くどこでも話せる」音声プランでの競争を続けた結果端末自体が進化しなかった。

一方で市場自体は成熟期に入ってしまい端末買換え需要も勢いがない。にもかかわらず高度なコンテンツやサービスが提供できる端末を提供しなければならない。

これを打破する一手としてアンドロイドが受け入れられる土壌があった、というように説明は続きます。

よく米国でケータイが普及していない理由の説明として「アメリカ人には日本のようなケータイネット文化はなじまない」というような話を聞きますが、ステレオタイプな文化的差異に要因を求めるよりは、上記のような要因の方が理由としては余程説得力を感じます(鵜呑みにできる話かどうかはまた別で検証しないといけませんが)。

向こうも向こうで苦労してる、ということも少なからずあるんだなと思ったのでした。

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2008年6月25日


「奇貨居くべし」

という小説を最近読み終えました。タイトルの「奇貨居くべし」というのは、秦の始皇帝や始皇帝の前王(父親でもある)の擁立の立役者であった商人呂不韋という人物が、始皇帝の父親を見出したときの言葉です。史記ではこの呂不韋という人物はあまりいいように書かれてはいないのですがまた違った角度で書かれており、非常に魅力的な人物として描かれています。

初めて中国を統一した始皇帝という人物に興味があってたまたま見つけた本なのですが、色々と学ぶところがありました。

呂不韋という人物は、何も持たないところから始めて秦の政治を司る地位にまで上り詰めたのですが、この小説内では自らを「駄馬」と位置付けています。「自分は1日千里を走る駿馬ではないが、1日1里の駄馬でも歩みを続ければ千里を行く事が出来る」という言葉に生涯順じた人である、と描かれています。

そして自らが世に何を成す事が出来るのか、何を成すべきなのか、そうした問いかけを死ぬまで続けた人であるとも言えます。

新卒の面接をやっているまさにこうした問いをしているんだろうなと思うことがよくあるわけですが、それを人生の一時期だけのものとして捉えずに生涯続けるというのは、本質であると感じながらも新鮮な印象を持ってしまった自分を反省しました。

そういう問いをしなくなるということは、心のどこかで「自分はこういう人間なのだから」という決め付けやある種の諦めをしてしまっているということにつながります。決して学ぶことを疎かにした生き方はしてきていないというつもりはありましたが、この小説の呂不韋ほどの深刻さで問いかけを続けていたかといえば、新鮮さを感じた自分がそうではないと言っています。

その他にも、色々と得る所のある本でした。

奇貨居くべし―春風篇 (中公文庫) 奇貨居くべし―火雲篇 (中公文庫) 奇貨居くべし (黄河篇) (中公文庫) 奇貨居くべし (飛翔篇) (中公文庫) 奇貨居くべし 天命篇 (中公文庫)

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2008年3月18日


「ウィキノミクス」

先日、ウィキノミクスという書籍を読み終えました。なんとなく感じていたことが明確に文書化されていて、自分の頭の中が非常にすっきりとした本でした。内容としてはウェブ進化論の次くらいに読むような内容で、事例は米国サービスや米国企業のものが中心ですが、主題としてはネットの進化・普及によってモノをどのように作る世の中になって行くのか、ということが書いてある本です。

ネットのサービス事例としては取り立てて目新しいものがあるわけではありませんが、企業でのモノ作りがどのように変化しているのかというボーイング社の事例はなかなか見えないところでもあり非常に参考になりました。

95年~05年の10年間はネットの普及に必要な時間だったと思っているのですが、05年~15年はネット普及が前提となった社会で色々な変革が起きる時間になるだろうと思っています。そうした変革がどのような方向性に行くのか、その中でゆめみとしてどのような取り組みをすべきなのか・どのような視点を持つべきなのか、ということは常に頭の中の1つのテーマとしてあるわけですが、たくさんのヒントが得られた本でした。

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2006年9月25日


名人伝(2)

以前のエントリで紹介した名人伝(中島敦の短編集山月記・李陵 他九篇に掲載されています)ですが、この話は前半の主人公がひたすら修行に励む様が描かれている部分と、後半の「名人」になってからの部分とに分かれています。この後半の部分の冒頭、主人公は最早弓の名人となり、「不射の射」を会得して町に戻ってきます。不射の射、とは弓を用いずに射ることが出来るという究極の状態。

下山してきた主人公は弓を持たず、表情もなく、ただこう語ります。「至為は為すなく、至言は言を去り、至射は射ることなし」極めた状態においてはその行為自体を行う必要すらない、ということなのでしょうか。主人公はこの後、死ぬまで弓を射ることなく、年老いてからは弓を弓と認識することすらできなくなってしまいます。

このような名人の域に達するということはなかなか想像しづらいことではありますが、物事の原理を修めるということはこういうことなのでしょうか?僕自身修行不足でこの箇所は感覚的には理解しがたいものがありますが、自分の人生においては非常に興味深いテーマです。

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2006年9月22日


フラット化する世界(2)

フラット化する世界(上)を引き続き読んでいます。以前のエントリでもこの本については書きましたが、さらに読み進めていくうちにまた別の発見がありました。

ウォルマート、という会社があってここのサプライチェーンマネジメントは良くできている(単純化しすぎですが)、という記載があるのですが、この考え方は僕らが志向していることと実は近いものがあるのではないか、ということです。商品を可能な限り安く仕入れ、それを可能な限り効率よく卸していく。不足している商品、売れそうな商品があればなるべく無駄のないように商流をコントロールして商品を流していく。

この仕組みそのものがウォルマートの強みでありメーカーもその仕組みにうまく乗っかるように商流を作らざるを得ない。結果として標準的な商流が作られ、世界がフラットになることに一役買っている、というようなことです。

これを読んで、大規模に実施することで標準的な物流・商流を作ってしまうことは、ネットの世界において標準が出来た時に情報の流れ方が加速度的に広がることと根本的なところで共通点が色々とあるのではないか、という仮説を思いつきました。モノの流れを最適化しようとする試みと、情報の流れを最適化しようとする試みの共通項は何か。ゆめみも情報をどう流していくいくのかということを仕事にしている以上、この仮説はちょっと検証してみないといけないなと思っています。

それにしてもこの本はおもしろい。ウォルマートの次の章にUPSの話が書いてあるのですがそれもまたおもしろかったです。

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2006年9月15日


フラット化する世界

フラット化する世界(上)という本を読んでいます。著者はピューリッツァ賞も受賞したことのあるアメリカのジャーナリストトーマス・フリードマン。インターネットの発展などにより、急速に世界の国や経済の距離が縮まっているということから話が始まります(まだそこまでしか読んでません・・・)。

ネットが社会を根本から変えているという事象(本質はどうあれWeb2.0という表現もこの事象を表した言葉の1つだと思っていますが)がどんどんこうした書籍などでも語られるようになって来ています。改めて、すごい時代を生きているよなと感じさせる本になりそうです(最後まで読むと)。

情報のやり取りが出来るようになることで、知的労働の成果はどこでも受け取れるようになります。そうすると、知的労働の生産地はどこでもいいということになる。世界規模での知の分散化が進むことで、これまで出来なかった人々に出来ることが増え、するとこれまで出来ていた人々は彼らにしか出来ないことを見つけて実施しなければいけなくなる。世界規模での知の競争が行われるようになるのでしょうか。

自分に出来ること・自分にしか出来ないこと、を真剣に見つめていかなければ知の競争に勝ち残っていくのはとっても厳しいものになりそうな、そんな結論がこの本の最後に待っていそうです。とりあえず、続きを読んでみよう。

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2006年9月11日


ブルーオーシャン戦略と任天堂。

ブルーオーシャン戦略という本を読んでいます。既存市場の中で競争を続けることをレッドオーシャン戦略(互いに戦いあって血の海になるということでこのような表現をしています)ということに対比し、競争のない市場を創造する方向に向かうためにはどうすればいいのか、という内容です。

読んでいて頭に浮かんだのは任天堂の戦略です。任天堂は僕が好きな会社の1つですが、あれだけの歴史があって、成功体験のある大企業が自ら新しい市場を切り開こうとする姿勢には尊敬の念を抱きます。岩田社長も色々なところで御話されていますが、ゲームをもっと多くの人に楽しんでもらわなければ業界が衰退していくばかりであるという危機感から、これまではターゲットではなかった女性層や年齢が高めの層でも受け入れられるようなゲームを作っていこうという考え。DSでそれを形にし、実際に成功していること。そしてWeeでは全く異なる土俵での勝負を仕掛けようとしていること。

すごく根本に立ち返って、「そもそもゲームって何だっけ」「誰にどういう遊びを提供する会社なんだっけ」ということを深く考えた結果の話なのだと思いますが、それを真摯に実現している会社ってすごいな、と思います。

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2006年8月21日


テレビCM崩壊

テレビCM崩壊という本を読みました。テレビCMに代表される、既存マスメディアを通じた広告手法はもう通用しなくなっており、今後消費者にはメッセージを届けるには全く異なるアプローチを取らなければいけない、という内容の本です。異なるアプローチとは、ネットなどを活用する消費者主導型のマーケティング手法。

ネットの登場により情報の流通が根底から変わるということは当然予測されたことですが、それがいよいよ現実のものとしてうねり始めている、そうした変化を感じられる一冊です。消費者による情報発信が容易になった今、主導権は消費者に戻る。本当の意味で消費者に受け入れられるモノのみ消費者主導のアプローチに乗せていく事が出来る。

いずれにしても、今後生き残っていくのはそれを理解したモノ・アプローチになっていくのでしょう。ゆめみは、それを促進させる側にいます。あるいは、いなければいけません。ゆめみはコンテンツプロバイダーではありませんから、消費者主導型となっていくような仕組み・サービスあるいはコミュニケーションの輪を作っていくこと、それがミッションです。この本に書いてあること全てが正解だとは思いませんが、方向性・考え方としては共感できると思いました。

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2006年7月16日


白州次郎 占領を背負った男

白州次郎 占領を背負った男

「白州次郎」という歴史の表舞台には顔を出さない人物の伝記本。彼は1902年に生まれ、第二次大戦後のGHQとの再三にわたる交渉など、吉田茂のサポート役として特に外交交渉面で力を発揮したことが書かれている。

戦後の日本の復興において白州次郎の果たした知られざる功績に光を当てると共に、「日本一格好いい男」としての人物像にも深く触れている。学生時代の英国留学で身につけたダンディズムを見事に発揮する様や自らの正義・信念を貫き通す姿勢が、占領下の日本に置いて際立った存在であったことや交渉において大きな役割を果たしている点が描かれており、嫌味なくその凄みのある人物像が伝わってくる。

この本で描かれている白州次郎は、本当にマンガにでも出てきそうなくらい格好のいい男である。たとえていうなら「ジョジョの奇妙な冒険」第1部主人公のジョナサン・ジョースターに描かれている英国流の貴族的ダンディズムと信念の強さに加え、第2部主人公のジョセフ・ジョースターが持つしたかかさ・茶目っ気を合わせたような、そんな人物像なんである。

白州次郎はなんせ格好いい。
・自らの信念や正義(プリンシプル、と書かれている)を相手が誰であろうと貫き通した
・日本の復興に心の底から取り組み、私欲や個人的野心を一切持たなかった
・自分が気に入った人物にはどんな状況にあっても愛情・友情を持って接し続けた
箇条書きにするとこんなところなのだろう。白州次郎のプリンシプルとは、愛するものにとことん尽くす、ということではないだろうか。愛するものが人間であればそれは深い愛情や友情となり、日本という国であればそれは強い交渉の源泉となる。それを貫き通す彼の姿はひたすら格好いい。

プリンシプルを貫き通す、ということは自らのプリンシプルがなんであるかということが明確になっているということである。「お前のプリンシプルは何か?お前はそれを貫き通しているのか?」ということを突きつけられたとき、自分は何と答えることができるのか。そういうことを改めて考えさせられる一冊である。

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2006年5月11日


ベンチャー精神。

私は歴史小説が好きでよく読みます。最近、司馬遼太郎「翔ぶが如く」を読み始めたところなのですが、最初の数ページでとんでもないベンチャー精神にぶつかり、思わずのけぞってしまいました。

明治維新直後に、外国の法律を学んで日本に持って帰ろうと数名の維新政府の人間がフランスに渡航します。その中で唯一フランス語が話せる(と思って通訳として連れて来た)人間はなんと実はフランス語が話せない。日本ではフランス人と英語を話して会話をしていたのですが(この人は英語は出来た)、当時の日本人は英語もフランス語もわからないのでその区別がつきませんから、フランス人と話をしているのだからあいつはフランス語が話せるのだろう、ということで通訳として連れて来た。

しかし実は話せない。フランスに着いて周りの人間もようやくそれがわかり、本人も「実はフランス語が出来ない。しかし出来ると欺かなければ君たちはフランスに私を連れて行かず、私は洋行が出来ない。これも兵法である」と完全に開き直る。

・・・ぶったまげました。「国の法律を持って帰るのだ」というとてつもなく重要な使命を帯びながらも、「フランスに行きたい」という一心でだまくらかして同行をする。とんでもないベンチャー精神です。

さらには、他の同行者もこの彼の行動に対して「才略と度胸を高く評価した」となっています。これが評価される土壌があるというのもすごい。才略と度胸がある、と一生誉め続けた同行者もいたそうです。

そしてさらにたまげたのは、「この状態で法律を日本に持って帰るなんて不可能だ」という仲間に対して、この「才略と度胸」を持つ男は「それでも武士か。活眼さえあれば法は察することが出来る」と弱気を叱ったと言います。それに強く賛成の意を表した仲間もいたとのこと。本気で何とかなる・何とかすると思っていたのでしょう。

これぞベンチャー精神ではないでしょうか。最初の数ページ部分だけなので、結果ちゃんと法律を持って帰れたのかどうかまだわからないのですが、ともかくここまで読んだだけでも当時の時代の雰囲気というのがいかにベンチャーマインドにあふれていたのかがひしひしと伝わってきました。彼らの対象は、ビジネスではなく国を作るというもっと壮大なものだっただけに、余計にその勢い、必死さ、無茶苦茶さが際立ちます。この明治維新当時に自分がいたとして、果たしてこのようなベンチャーマインドを発揮できるのかどうか。当時の彼らと今の私は年齢もそう大きくは変わりません。歴史上の人物にも気持ちで負けないぞ、と思いを強くしました。

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