ご挨拶

移り変わりの激しいモバイルインターネット業界ですが、最先端を切り開く一員としてそれがどういうことなのかを自分なりに解釈・翻訳してお伝えすることで、業界内外に関わらずワクワク感を共有できる人が増えると嬉しいです。

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深田浩嗣 Koji FUKADA

1976年京都生まれ、京都育ち。仕事を始めて東京に在住。

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2008年2月 8日


サービスの本質

理由はいくつかあるのですが僕は任天堂という会社は本当にすごいなと思っていて、大好きな会社の1つなのですが、最近のインタビュー記事でのセカンドライフ型仮想世界サービスについての任天堂岩田社長のコメント

私の中で一番のポイントは、そのサービスは「5歳の人も95歳の人も、ITリテラシーの豊富な方もそうでない方も、同じように楽しいですか?」ということです。この問題が越えられないのであれば、任天堂のすることではないと思っています。

これは個人的には非常にツボにはまるコメントでした。

ゲーム業界の推移とIT業界の推移がどの程度類似性があるのかはわかりませんが、リテラシーの高低差が比較的大きい業界であることは言えると思います。技術やサービスの進化が著しく、供給側はどんどん先を見てサービスを作っていかないといけない。

しかし先に行き過ぎてしまった時に「そもそも誰に何を提供してるんだっけ?」と振り返ることが出来るかどうか。現在のゲーム業界の旗色状況はそれが出来たのか出来なかったのかの差ではないのかなと思うことがあります。

ネットのサービスにも近々似たようなことが当てはまるようになるんじゃないかと考えていますが、その時に「サービスの本質ってなんだっけ?」という振り返りができること、それに基づいて大胆にすら思える手を打てること。そこは今後の10年くらいのスパンでとっても大事になるんじゃないかと考えています。

↑書いていて、MSによるヤフー買収提案が僕の中でのワクワク感につながらなかったのは、なんとなく自分の中でこういう考えが背景にあるからかなと思いました。

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2007年5月10日


農業技術の発展は何をもたらしたか

以前のエントリで「緑の世界史」という書籍を紹介したことがありました。こちら、まだ読書中なのですがかなり興味深い話がたくさん載っています。

その1つに「農業の発展」という話があります。ご存知のように人類は狩猟採集の社会から、農耕技術が発展していくと共に農耕社会に移行するという過程をたどりました。農耕社会では一人当たりの生産性が狩猟採集に比べて格段に高く、全員が農業に従事しなくても生活が出来るだけの余剰生産物を生み出すことができるようになりました。

余剰生産物が生まれると、それを管理したりあるいは再配分するための機構が必要になり、やがてはそれが権限を産み、組織を産み、所有という概念を産み、社会というものはどんどん複雑になっていきました。そこで起こったこととしておもしろいなと思ったのは、農耕社会が発展した地域ではいずれも余剰生産物を管理する機構が力を持つようになったという点です。この管理機構はすなわち統治者とか国王とかそういったものを産み出す元となったようです。

詳細を自分で文献を調べて追いかけたわけではないのですが、大体の流れは良く理解できますし納得感があります。農耕技術の発展はめぐりめぐって社会をどのように変えて結果誰にチカラを与えたのか?という問いは、情報技術の発展はめぐりめぐって社会をどのように変えて結果誰にチカラを与えることになるのか?という現代の問いにそのまま置き換えられます。

僕自身は権力志向の人間ではないつもりですので「チカラ」の定義は幅広く捉えていますが、僕らがやっていきたいことを実現するために、この問いは大きな意味を持ちます。

いやあそれにしても、歴史はおもしろいです。

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2006年11月24日


ケータイ文化圏とネット文化圏の話。

#久しぶりの投稿です

ケータイ文化圏という話とネット文化圏の違いという話は最近色々なところで耳にする機会が増えました。両者の間には大きな断絶があり、互いにあまり行き来がなくサービスを提供する側としてはいずれに対して提供するものなのかを明確にする必要がある、という考え方です。

先日あるセミナーに参加した際にそういう話が出たのですが、ふと思ったのは「ネット文化圏のマイノリティ化が今後進む一方になる、というシナリオは十分あり得る」ということでした。年代でざっくりと切ってしまうと現在のネット文化圏の中心層はおそらく20代後半~40代前半、ケータイ文化圏の中心層は10代前半~20代前半でしょう。ここの違いは「ネットに始めて触った年齢とデバイスが最も大きいのではないか?」という仮説がこの考えのベースにあります。

この仮説が正しいとすると、今後ネット文化圏人口は基本的に大きく増えることはなく、ケータイ文化圏の人々がマジョリティとなる社会になっていきます。もしそうなるとすると、特に自社でサービスを提供している企業は取るべき道のりの見直しを図らなければいけないかもしれない。

このほか、うまく融合するというシナリオや結局ネット文化圏に集約されるというシナリオもあり得るでしょう。どの企業がどんなシナリオを採択していくのか、非常に興味深い所です。

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2006年10月23日


高齢化社会とIT

先日とある機会があって、高齢化社会とITということを少し考えていました。「高齢者」とは一般に65歳以上を指していうそうですが、現在の65歳というとまだまだ元気な方も多くいるはず。最初、このテーマについて聞いた時には介護・福祉といった単語が思い浮かびましたが、元気のいい高齢者がさらに活躍できるような場をITを使って作っていくという方向性も同様に重要なのではないかと考えました。

これは僕自身の話ですが、以前に祖母(普段は京都にいるのですが)が東京に遊びに来たときにを表参道~原宿を案内するということがありました。何でも子供の頃にそのあたりに住んでいたらしく、どんな風に変わったのかを見てみたいということでした。祖母の記憶の時期というのは戦前~戦後らしく、案内する道すがら当時の様子を色々と話してもらいました。

空襲の話や当時の表参道には防空壕がたくさんあった話、焼夷弾がばらまかれて焼け野原になっていた話などが出てくるわけです。生まれてこの方祖母からそんな話を聞いた事がなかったので「そんな経験をしていたんだ」ということ、そしてその話のリアルさ(自らの経験談なので当たり前ですが)に衝撃を覚えました。なにせ「あの木は当時からあった。その電話ボックスの周りには防空壕があった」などという話がぽんぽんと出てくる。

切実に戦争ってひどいなと感じました。こういう話・体験談は高齢者ならではではないでしょうか。戦争に限らず、当時の情景を思い浮かべる手段として「体験談」と言うのは非常にリアリティのあるコンテンツです。ITを活用することで、高齢者そのものがコンテンツプロバイダーとして非常に価値のあるものを提供することが出来るはずだと思います。コンテンツプロバイダーというとなにやら冷たい感じがしますが、語り部的な存在という意味合いです。

加えて知的労働者としての活躍の場もあり得るかと思います。知的労働の成果物はネットだけで流通させられるほどまだ環境は整っていませんが(AmazonのMechanical Turkなど)、これもある程度までは時間の問題でしょう。一旦リタイアしていれば対価についての相場観もかなり安価でもいいという高齢者も多くいるはず。やり方次第でうまい市場が作れるかもしれません。

問題は、ITリテラシーをどこまで上げていくことができるかということでしょうか。使えないと場があっても参加が出来ません。このボトルネックをどう解消するのか。取り組むべき大きなテーマの1つです。

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2006年10月11日


Web2.0→真実の変遷、という捉え方。(2)

Web2.0以前の世界の真実はなんだったのか、誰の言うことが真実だったのか。人々は何から情報を得ていて誰の言うことを聞いていたのかということを考えると、いわゆるマスメディアになります。もちろんクチコミはありますがマスメディアを通じないクチコミの及ぶ範囲は(ネットがある現在に比べて)極めて限定的であったと言えると思います。

これが、Webが浸透していくことで徐々に変わってきている。Web2.0以後の世界では情報源がとんでもなく増えてしまいました。その結果、誰の言うことが真実なのか非常に混沌としています。ただ1つ人々が感じ始めているのが「マスメディアの言うことはこれまで真実だったが、これからはそうでもないのではないか」ということではないでしょうか。

今は過渡期にあるので、「じゃあWeb2.0以後の世界の真実ってなんなんだ」という問いかけにはまだ答えが出ていません。ユーザ一人ひとりが発信する情報に真実があるのか?ブログやSNSなどのCGMと言われるサイトを見た時に言える事は、「これまでになかった真実があるのは確かだ。しかし全てが真実というわけではない。」ということだと思います。多数のユーザによる評価サイトは真実なのか?「みんなの意見」は案外正しいというが、本当にそうなのか?仮想市場という考え方はどうだ?「全体としての意見はわかるが、自分にとっての真実かどうかは自分で決める」ということになりそうです。じゃあグーグルの検索結果は真実なのか?アマゾンのリコメンドは真実なのか?「それが真実だとするととっても怖いかもしれない」と言いたくなります。

まだしばらく、真実は変遷するのでしょう。どこに行き着くのか、あるいは真実はたくさんあるということが新たな真実になるのか。Web2.0以後の世界はこれから創られていきます。この世界における真実を見出し、自らの手に握ったものは大きな力を得ることになるかもしれません。この業界にいる身として、人々にとってより良い真実を提供できるような、そんな仕事をしていくことがゆめみのミッションです。そんな仕組みを指して「情報流通プラットホーム」という言い方をすることもありますが、それを作っていくということがゆめみが目指す方向です。

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2006年10月10日


Web2.0→真実の変遷、という捉え方。

「Web2.0ってなんだと思いますか」というばくっとした質問を受けることが最近非常に多いです。それだけ注目されているキーワードということなんだと思いますが、確かにそういう質問をしたくなるくらいに色々な言われ方をしている言葉です。この手の書籍では最初に出た小川さんの著書「Web2.0 BOOK」によると「Web2.0とは、インターネット上でこの数年間に発生したWebの環境変化とその方向性(トレンド)をまとめたものです」という書き方をされています。提唱元のオライリー社による説明はこうなっています。ソーシャルデータベースだと言う人もいます。

ただここまで世の中的に広まってきている単語として、Webで起こっていることだけにとどまらない影響を何かしら皆感じているのではないでしょうか。「何かわからないが得体の知れないことがWebの上で起こってるんじゃないか」という漠然とした感覚というか。

皆がそう感じているかどうかはともかく僕自身が最近は、「真実の変遷」がおきはじめているというような捉え方をしています。真実、というものは時代や環境によって大きく変わる相対性の強いものです。例えば平安時代に美人とされていた人は現代においても美人かというと多分そうではない。何が美人なのか、という真実は時代によって変わっているわけです。政治の例で言うと、一人の王様・君主が治めていた時代にはその君主の発言や行為が真実でした。現代においてはそうではない。法律が真実だったり、裁判官が真実だったりと分散されています。

そういう意味において、「誰の言うことが真実なのか」ということがWeb2.0という言葉が出てくる以前の世界と、以後の世界では異なってくる、ということなのではないかという捉え方です。

ちょっと長くなりそうなので続きは次回へ。

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2006年10月 4日


veena! 音楽趣向とネットサービスの相性。

veena!というサービスがあります。iTuneのミュージックリストを登録することでアーティストの情報を取得できたり、同じアルバムを登録している他のユーザのプレイリストを見ることが出来たりするサービスです。ミクシィミュージックである程度同様のことが出来るのですが、こちらはPC上で再生した曲のみをミクシィ側のサーバに送る形なので、通常PCで音楽を聴かない僕としてはあまりデータがミクシィ上にアップされません。

veena!の方はiTunes Music Libraryファイルをアップロードすることで、現在のミュージックリストを全てアップロードすることが出来るようになっています。ミクシィミュージックは専用のWindowsのアプリケーションをインストールすることでiTuneの再生曲を自動的にサーバ側に送信するようにしている分仕組みは複雑になりかつ使い勝手があまりよくありません。veena!のやり方の方が、僕には合っているようです。

いずれにしても、自分が普段聞いている音楽情報を元にしたサービスは様々な広がりが考えられます。単純に、自分と似た趣向の人が聞いている音楽でまだ聞いたことがないのがあれば聞いてみたいなと思います。iTMSでも同様のサービスは提供できるはずですが、こちらはまだ「新規追加」「トップソング」「トップアルバム」「スタッフのお気に入り」、などあまりパーソナイライズの要素は加味されておらず、あまりここから買おうとは個人的には思いません(探すのが面倒。ちなみにこの「探すのがそもそも面倒であるがいいのあったら教えてくれ」という類のニーズはまだあまりネット上で満たすことが出来ていません。次はこの辺なのかなと思っています)。

音楽こそ、うまくレコメンドすることでガンガンオンラインからでも購入するであろうコンテンツだと思うので、こういうサービスは今後もっと便利になっていって欲しいですね。

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2006年9月10日


情報化社会と神社神道

研究集会「現代社会における神社神道の現状―情報化社会と神社神道」の開催というシンポジウムがある、という話を知人から聞きました。情報化社会と神社神道ってすごくお互い遠いところにいるようなイメージがありましたが、主催が国学院大学であるところを見ると、神社神道側もそういうことを考えなければいけないような社会になってきたということでしょうか。

神社神道については僕自身も全くといっていいほど知識がありませんが、ネットが社会に根付くことはもうそろそろ当たり前のものとして受け入れられるようになってきている現在、こういう昔から存在して日本の文化が形成されるにあたって色々なところで影響を与えてきているはずのものが、ネットとどのように折り合っていくのかは非常に興味深いテーマだと思います。

例えば家やビルを建てたりする際にはその土地の氏神様にご挨拶にいったりお払いをしたりすることもあるわけですが(神道と関係なければスイマセン、何か人間以上の存在がそこにあるとし、それに敬意を払う習慣が現実世界ではありますということを事例で言いたかったのです)、こういう習慣は当然ながらネットの世界にはないわけです。仮想世界には神は存在しないのでしょうか。

人間が作った世界の中で神性を感じるというのも確かに奇妙な話かもしれません。しかし「神」というものの存在を前提とすることで色々な規範が成立し、社会が成立してきたこれまでの歴史を振り返ってみた時に、その前提がそもそもない社会が仮想空間の中に生まれ得るという状況の中で、仮想世界において人は何を規範として行動するのでしょうか。時間が経つことで何かしら形成されていくものなのでしょうか。仮想世界を「創る」側の立場にいる我々としては、何を考えるべきなのでしょうか。答えはすぐには出ませんが、頭の片隅には置いておくべき問いかけのように思いました。

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2006年8月22日


Hollywood Stock Exchange

Hollywood Stock Exchangeというサイトがあります。以前に集合知というエントリで予測市場について少し触れましたが、それを映画や俳優でエンタメとして実現しているサイトです。登録すると仮想の通貨が配布されて映画や俳優に対しての株価の増減を予測して儲けよう、という遊び方です。

まだしっかりと見切れていないのですが、映画の株価と今後のリリーススケジュールの一覧ページを見てみると、どんな映画が注目されているのかが非常によくわかっておもしろいです。来年の5月公開予定のパイレーツオブカリビアンの続編やスパイダーマン3などは非常に高い株価がついています。一定以上の母集団がいないと市場としては成り立たないですが、頻繁に売買はされているようですし、一定信頼のおける映画株価が形成されているとすると大変興味深いですね。

国内だと少し前に芸能証券というサイトがありましたが、こちらはブログ検索の結果から芸能人の人気度合いを数値化=株価にするというもの。株価の形成の仕方を市場ではなくブログの検索結果と結びつけるという手法をとっています。実際の精度としてどちらが上なのかはなんとも判断しづらいですが、いずれもおもしろい試みだと思います。

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2006年7月31日


ネットが当たり前という世界観

昨日、久しぶりに中学からの友人仲間の家で集まって色々と話をしていました。ふとその中の話題で、ネットが当たり前という世代が育ってくると一体どうなっていくのだろうという話になりました。デジタルデバイドなんていう言葉がありましたが、生まれた時からネットが当たり前にあってその中で育ってきた人達にとって、ネットとは一体どういうものなのでしょうか。

ちょうど僕らの世代は小学校低学年の頃にファミコンが世の中に登場し、自分が大きくなるに従ってゲーム機が進化していきました。そして、ちょうど大学生の頃にネットが登場し、そしてケータイがネットにつながるようになり、そうした世界もどんどん進化していっています。そうした計算機やネットワークの進化の変遷を目の当たりにし、進化していくことそのものを楽しんで育ってきたような部分があります。こうした進化が世の中に与えてきたインパクトも体感してきています。

しかしそれが当たり前になった時、人はどのように変わるのでしょうか。ネット上での自分というものを、僕らとは違う視点で捉えるのでしょうか。特に、小さい頃からネットに触れている人にとっては社会の中での自分という意識を持つ前に個人としての自分という位置付けでネットの世界に入り込んでいくはず。

こうしたブログを書いていて、自分自身でも公の立場と私の立場の切り分け方は時に非常な困難を感じることがあります。それは、ネットが当たり前の世界に生まれてこなかったからなのでしょうか。社会というものを意識する公の自分が出来上がるのは、就職後仕事を通じてというケースがほとんどでしょう。公の自分を確立する前からネットを使いこなし、ネットの中での自分というものが違和感なく確立されている人にとって、公の立場としてのネットユーザとは何なのか。また、現在とは異なったパラダイムシフトが起きるのかもしれません。

その時、僕らにできる仕事は一体何なのでしょうか?そう遠くない未来の話です。とにかく今は先へ進むしかありませんが、何がしかの解を持ったものが生き残るんだろうな、と思います。

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